Exhibition 展覧会情報
金村修「栄養分析表」

オープニング企画展
金村 修「 栄養分析表 」
2014年2月18日(火) 〜 3月1日(土) 
13:00〜19:00 日・月曜 休み


作家ステートメント

いらっしゃいませこんにちは2,4カウンターお願いします、喫煙5満席。ご案内お願いします、内輪の隠語を喋るならカウンターの内部で静かに喋ってればいいものを、テーブルの真ん中で声を大にして喋っている新宿西口地下のプロントの店員の声は、甘えきったプードル犬だってあんな鼻にかかった声で吠えたりはしない、まるでマイク・ラヴのCatch a waveを彷彿させる鼻にかかった声。甘ったるいいらっしゃいませの後に、こんにちはをいちいちつける、いらっしゃいませこんにちはの親しげな感じは、大量のシロップとはちみつにまぶされたバターたっぷりのクロワッサンをいきなり突きつけられたような不快な不意打ちされた親しさであり、ストラップのシャツを脱ぎ捨てて通り魔の本性を表したマイク・ラヴが下半身を剥き出しに、肉切り包丁を持って襲撃対象者に鼻にかかった声の♪Catch a wave 波の頂点をつかまえろ♪と、ビック・ウエィヴの頂点で発せられる襲撃と殺意と喜びと絶頂のこんにちはのマイク・ラヴ的恍惚が披露されるだろう。

生活があるからとサラリーマンが言うけれど生活なんてどこにもない。お腹がすいたらパンのかわりにお菓子を食べればいいと言ったマリー・アントワネットは、お腹がすいて死にそうなら死ねばいいし、生活ができないなら生活しなければいいと、生活なんて召使いのやることだと言っているようだ。生活の奴隷、どうやって食べていくんだと勃起する以外になんの希望もない生活の奴隷になった人間が開き直る。新宿西口地下のコンクリートの無機質な壁に無理矢理つくったショーウィンドウのなかに飾られていたアマチュア画家の描いた、ベッドより人間の顔の方が大きい遠近法の狂った団地の寝室で、男の背が蛇のように天井まで伸びきって女に襲いかかる夫婦の後背位のセックスを幾何学的にねじ曲がった柱から覗き見る子供の絵。性交という排泄行為と食べものという口唇期の退行的欲望に支配された人間のグロテスクな寝室。凍結と解凍の人体実験に熱中していたナチスのラッシャー博士が語る、凍結した被験者をふたりの女で解凍させ、意識が回復すると例外なく性交を始めるらしい。そしてふたりよりもひとりの女のほうが凍えた男を温めるのが早かった。抑制が解けて相手の体を求めるちからが倍以上になり、それが体温の上昇に結びつくからだ。「性交できる肉体状態にある被験者だけが驚くべき早さで解凍され、全身的機能の回復を示しました」。その意味のない性欲でサラリーマンは誰よりも早く解凍されるだろう。彼らは人脂5キロ、水10ℓ、人脂450gあたり28gの苛性ソーダで2時間の煮沸ののちに冷却された強制収容所レシピの石鹸にふさわしい生活が与えられる。ラッシャー博士の言う、死ぬしか役に立たない人間の食欲と性欲、焼肉とキャバクラにしか奉仕しない口唇を永遠に凍結させる。生活を蘇生することなく永久に氷点下の世界に閉じ込める。胃部体温と直腸体温が絶対温度273℃に向けて下降し、延髄と小脳は冷却される。頭蓋腔内に0,5ℓの大量の出血、心臓の右心室が極度に拡大された何度冷凍蘇生しても性交しか求めない生活に、性交不能の衰弱した、回復の見込みのない氷点下のなかで、不滅で不死身の勃起不全の凍結が、氷のようなカルビクッパとアラスカみたいなキャバクラで“47人の将校は裸足で石切り場へ連れて行かれました‥いちばん下の段のところで監視兵に石を背負わされます。それをいちばん上まで運び上げなければなりません。最初の回はおよそ30キロの石を、ぶたれながら運びました。‥2回目は石をすこし重くされ、その重みでへたばった哀れな人は足蹴にされたり棍棒で殴られたりしました。‥夕方には、道に21の死体が転がっていました。あとの26人は翌朝死にました”ように生活を撲殺する。

生活はそんなに素晴らしいものなのだろうか。生活は廃棄されるべきものであって、生活ができなければ生活なんてしなければいいのだ。誰が生活なんかを必要としているのだろう。生活の背中を天井まで宙吊りにして、伸びきった背筋を頭からパイルドライバーで一気に一直線に路上に叩きつけたあと、生活を原爆固めに、マットに押しつけられた延髄がへし折られ、エビのように曲がった屈曲位のまるでセックスみたいな体勢で獣みたいな恥辱を生活に強要したい。生活に、生活の言葉以外の音声を発せさせる。生活が獣みたいな意味不明のわめき声をあげる。無能な生活はオノマトペみたいな無意味な声しか発しないかもしれないけれど、そこに含まれるうめき声の微細なグラデーションを感じてみたい。生活から言語の統辞法を取り上げて、意味をなさない叫び声の連鎖に生活を回収する。生活は結局人間のなにものも統治できなかった。人間を支配する生活の、最後の慌てふためき見苦しい立ち振る舞いをするのが見たいのだ。顔面が完璧なぐらい破壊された生活が首なしで歩く。生活の個別的差異は廃棄され、暴行の痕跡だけが強調された生活がいなげやにやって来て、閉店30分前の半額セールで値引きされた揚げ物を大量の唾液をまき散らして買いあさる。680円の寿司が340円に、コロッケ5枚で200円のパックやポテトサラダに250円の揚げ物しか入っていない幕の内弁当。やがて半額セールの海に埋もれてしまう生活は、値引きの荒野を埋める砂もないからっぽの売り場でくずのようなわたしについて語るだろう。肯定するものがなにもない有効性の欠けたごみの山のようなお惣菜、それが生活だ。生活はごみの集積以外の何者でもなく、最終処理所で海に流される塵芥のように生活が処理される。

死体みたいな生活が跋扈する西口地下街のプロントで、だれがいらっしゃいませこんにちはなんていう親切を期待しなければいけないのだろう。見ず知らずの人間にこんにちはとか言って近寄ってくる輩は、たいていぽん引きか宗教関係者、売人、あとはこんにちはと笑顔で近づきいきなりぶすりとナイフを腹部に刺し込む通り魔であり、無表情なサラリーマンのよれたワイシャツの上から刺しまくれば、枯れ木に水をやるようにその薄汚い背広が血でいきいきと真っ赤に溢れ出す。俺はおっぱい星人なんだから、女が脱がないキャバクラには絶対行かないぞと同僚とにやにやしながら喋っているサラリーマンにも喉元の呼吸器官を剃刀で切りつけて、まるでおしゃぶりを口にしたまま、ひゅうひゅうという甘えた声で泣く赤ん坊のような叫び声をあげさせる。いつまでもおしゃぶりをしていたい望み通りの口唇期星人みたいな声にしてあげる親切な通り魔がこんにちはと言うものだと相場が決まっている。

映画はきまぐれで無意味な復活を死者に強要する。映写機のリールに一度据え付けられれば、誰も見ていなくても、退屈で眠っていても、処刑されて三日後に復活するキリストのように写された対象はみんなまたいきいきと喋りだす。アルジェリアの井戸に首も手足もへし折られたままつめこまれる縞馬の映像。冬のスターリングラードでは食料運搬のために徴発された馬が、最後にはみんなの食料になるためにこめかみに銃を一発撃たれる映像。フィィルムで撮ればそんな無慈悲な虐殺が、退屈しのぎのための復活のために一日に何度も上映される。少年ジャンプに連載されていた「トイレット博士」の本土決戦を直前にひかえた上野の動物園でお猿達の最後の皆殺しが行われる話。九十七式重機関銃の一分二百発の銃弾を猿山に向けて発射したあとに、まだ生き残っているお猿さんの頭をめがけてたくさんの銃剣がようしゃなく振りおろされる姿が撮影されていれば、皆殺しにされた猿山のお猿さんたちもフィルム現像の三日後にはもう復活しているだろう。死後硬直で首が捩じれたままのお猿や、顔面が半分撃ちぬかれて、口の筋肉が痙攣したようにぴくぴく動く様子がまるで甘えておしゃぶりしてるように見えるお猿、上半身が吹っ飛ばされて下半身だけで踊りつづけるお猿も映写機でスクリーンに投影されれば撃たれてきりきりと廻りつづける姿そのままに復活する。何時間でも金切り声をあげさせられる反復としての復活、死ぬ直前の血の泡をふく格好のままの復活、眼孔からこぼれ落ちる目玉が揺れつづけるままの復活、半分腐った復活、トリノにあるキリストの聖骸布がキリストを現在進行形の死体として存在させるように、映画はいつだって復活と現在進行形の腐敗した死を上映し続けるだろう。

こんにちはの世界に迷い込んだら生きて帰れる人間なんかひとりもいない。おとぎ話のなかの泥棒が宝の山で道に迷い、干涸びて永久に出てこれなくなるように、距離のない親密さのなかで逃げ道もなくこんにちはを面とむかって言われるコンビニとプロントで、親しみと友情を込めた窒息死がわたし達に強要される。黒色火薬かゲル化ガソリンを製造しているかのようなおでんの匂いが充満する店内で発声されるこんにちはいらっしゃいませが、山岳党の革命裁判所に迷い込んだようなわたし達に、元気と真心と絆とこんにちはといらっしゃいませの名のもとに気軽に死刑を宣告するだろう。カフカの「審判」のヨーゼフKは犬のように殺されるけれど、わたし達は元気に真心を込めて深い絆のもとにがんばって、がんばろうって殺される。ラーメン屋は、“真心を込めて仕込み中”だし、コンビニでは釣り銭を渡すとき、相手の手のひらにそっと触れるように小銭を渡す。ラーメン屋に真心を強制されたり、恋人でもない店員になんで親しみをあらわさられなければいけないのか。おまえと一緒に歩きたくないってスーサイドが歌い、こんにちはなんて白人の前で絶対に言わない、俺はアンクル・トムなんかじゃないってマイルスが言う。FENのラジオではラモーンズが、嫌いな奴にこんにちはなんて言うな、いきなり金属バットで頭をぶっ叩けと歌っている。あらゆるこんにちはと真心は通り魔と同じだ。至近距離でいきなりひっぱたく通り魔的暴力、にこにこした笑顔で足蹴にされるこんにちはリンチ。ラーメン屋に真心を与えてもらったり、コーヒーチエーン店のバイト風情には親切にほほえまれ、あげくにコンビニでは恋人面される屈辱にいったいいつまで耐えつづけるのか。こんにちは、こんにちは、こんにちは、に日々押しつぶされていく日常。こんにちはと言い続けたまま死んでいった、そんな小説を読んだことがある。こんにちはしか単語を知らない南米の出稼ぎが、ニューヨークの路上で腹を刺されても助けての単語を知らないので、こんにちは、こんにちは、こんにちはと叫びながら死んでいく話。それがこんにちはの未来だ。いらっしゃいませこんにちはとこんにちはがレジで微笑むとき、工場から直送された冷凍の生クリーム鮭カルボナーラを解凍する電子レンジでこんにちはの頭蓋骨へ一撃を加える。陥没した脳漿が散乱するこんにちはの頭から、スイーツ番長を自称するモンブランとチーズケーキがコーヒーのお供にいかがですかと親しげに寄り添ってくる。脳膜が破裂し、脳脊髄液が陥没した頭蓋骨から流れ出てるいらっしゃいませこんにちはに、お客様へ全裸で最後のおもてなしと丁重なお辞儀をするように強要する。

テレビの画面では1978年の赤い旅団がイタリアのモロー首相を誘拐したニュース映像が放映されている。モロー首相が三角帽子を被せられ、手に赤旗をもって振らされている映像。イスラエルでは射殺された人質の死体が領事館の屋上から蹴落とされ落下して地面にたたきつけられるテレビ中継。メルセデス・ベンツのトランクに後手を縛られ押し込められたドイツ外務大臣の射殺死体、民主主義の楽観と善意と幸福が惨殺死体となって街中に溢れ出すような予感、大量の赤色テロルが始まるファンファーレ。遠くで聞こえる銃の音。処刑が始まったのだ。革命は解放された人間の笑い声から始まるのではなく処刑とリンチの予感から始まるだろう。革命は処刑とリンチという形でしか自分を表象することができないのだ。革命は挫折と恥辱で打ちのめされる予感でしか現れず、汚水留のなかに青空の姿を錯覚するように、泥と血にまみれたリンチ対象者の急性硬膜化血腫でふくれあがった動脈を見て、未来のプロレタリアの姿を妄想するだろう。狂躁のリンチと人民裁判のなかでしか革命は生きられない。血の匂いで酩酊した獣のような雄になる以外に革命は生きられないのだ。ブルジョアの階級が最下層のプロレタリアを雄の激情した状態に変質させる。激情のなかでしか生きているという感じをもたないプロレタリアの魂は、ブルジョアからあらゆる思いのままの苦痛を獲得するために彼らを変貌させ破壊しなければならない。革命は主体と客体の位置の変化ではなく、主体と客体の相違の消滅であり、自己存在の崩壊、処刑するものとされるものの混同、わたしは赤軍兵士でありながらもドイツ外務大臣の射殺死体でもあるという境界線の消滅。プロレタリアはブルジョアに自我の限界づけを解体するための死骸との性的関係を要求する。赤色テロルと武装蜂起の殺戮現場が死骸を見たときの不快感を快楽と陶酔に転化するだろう。死骸への性的欲望、耽溺、陶酔は、わたし達は生のなかで死者のように生きることであり、死者と似ること、この世の生のなかで生きることは死者をつねに真似する、生は死の仮像であってあらゆる生は死が投影した幻想なのだ。

三度生きて三度目には失敗しなかった。いや失敗したのだ。同じだ。まったく同じ失敗だ。オーギュスト・ブランキが何度生まれ変わっても独房のなかにいることを決意したようにまったく同じ惨事が反復される。わたしという塵芥、一粒、一点のつくり出す、何通りのもの、ありとあらゆる可能性は、同じ失敗が永遠に繰り返されるという惨事の反復であり、革命はつねに失敗するという不可能と惨事以外に自分を表すことができないだろう。「毛虫は、卵をうみつけるのに、いちばん美しい葉をえらぶが、それと同じように、神父も、いちばん美しいよろこびに呪詛をうみつける」ように革命はいちばん美しい理想にとりかえしのつかない惨事をうみつける。

人質になった人間というのはいつ見てもみじめだ。彼らは燃やされて畑のこやしにされる枯れ木以外に用のない終わった人間だ。火をつけられて灰になる以外になんの役にもたたない。赤色テロルは人間を枯れ木の枝のような無機的な裸の物質に変質させるだろう。飛行機に乗って空中から見える地上の生は生活の具体性が失われフォルムだけが浮かび上がり、地上の光景は抽象化され、林が羅紗に畑や住居が海の襞つきの薄衣のように美しい形式に配置されるけれど、赤色テロルは人質に美しいフォルムのような死体ではなく、ウミウシかウツボの無秩序な集積のような死体になることを要求する。

人質になった人間なんて冷蔵庫や蟻やかぼちゃとじゃがいもと、どれもみんな似たりよったりだ。みんな石と同じ、路傍の役立たずの石、区別のつかないどこにでもある石と同じだ。家も路上も、ただ一面石の壁しか見渡すことのできない墓石のように区別のつかない街のなかに閉じ込められ、いまではすっかり壁の石と区別のつかない、そこに百年も前からいるように同化した人質の顔。人質の遺骸なんて散歩中の犬の脱糞した排泄物となにもかわらない。犬の排泄物に未来はないように、排泄物の未来は底の底に沈んで横たわっている澱以外に人質はなにかになれるだろうか。飾り棚のなかでいつまでも見つからない骨董のように、排泄物の未来はそこで縊れはてる。『愛欲人民十時劇場』におまけとしてついていた乾燥した犬の排泄物のような未来だ。彼らは知っていたのだ。未来なんてこれと同じだ。腐っていくテレパシーズの角谷未知男が歌っている。“僕たちの未来は、壁一直線にならんで小便をすることだけだ”って。

土曜日の正午、お昼のNHKのニュースで、丸の内三菱重工前で爆弾が完爆。爆風によってビルの窓ガラスがすべて崩れ落ちる。ガラスの破片で埋もれた路上が太陽の光できらきらひかり、空から落ちてきた無数のガラスの破片がぶすぶすと体中につきささったまま、よろよろ歩いているサラリーマン。こんにちは爆弾が破裂したのだ。あらゆるこんにちは爆破され、こんにちは爆弾の破片が丸の内のサラリーマンにかたっぱしから突き刺さる。
正午のニュースではアナウンサーが読み上げる犯行声明文の断片が爆破直後の丸の内の映像にかぶさる。侵略、朝鮮人、連行、花岡事件、日帝、天皇、おとしまえ、狼部隊、丸の内を歩く日本人は敵だ、今から丸の内は戦場になった、殺されたくなかったら丸の内から出て行けと。ベンヤミンが言っていた、都市は犯行現場だと、そこを通過する人間はみんな共犯者だと、無実の人間なんて誰もいない。戦争が身近にやって来たのだ。とうとう戦争の共犯者になれる日がやってきたのだ。子供の頃、立川のビルの屋上から見た、アメリカの爆撃機の機体に描かれた発情したマリリンモンローに似た女のイラストみたいな半裸で俗情を誘う暴力と陵辱が公然と丸の内に姿をあらわそうとしている。
戦争が始まったんだ。もう誰もこんにちはなんて言わない。栃木の交番で警官にこんにちはとあいさつしながら、いきなり登山ナイフで襲いかかる時代になった。こんにちはは相手との距離を縮めるための親愛の言葉ではなくなったのだ。こんにちはは襲撃の合図であり、こんにちはは相手の心臓にナイフで一撃するためにタイミングをはかるための時間稼ぎの言葉であり、こんにちはは憎悪のこころを善意の笑顔で覆い隠すテロリストや殺人狂の合い言葉になった。誰も彼もがこんにちはと言いながら刺殺する。コンビニやプロントの平和だったこんにちは時代が、残酷な殺戮の現場に変質するなんて誰が想像できたろう。お客の手の甲に釣り銭のかわりにナイフが突き立てられ、プロントの店員がこんにちはいらっしゃいませと言いながら、モロトフ・カクテルを客におみまいする。お客様に元気を与えたい桜上水のラーメン屋の店員は、お客にバールでめった打ちにされる。戦争が、場違いな善意とおこがましい親切心に死刑を宣告したのだ。無神経でどんかんな善意や、呼ばれてもない場違いででしゃばりな親切心がさんざんなぶりものにされ、樫の木の枝で縛り首にされる。ロペスピエールの憎悪まで、そうもう一息だ。共和制社会の根幹である悪意と犯罪の水域までもうちょっとだ。
テレビ画面のヘリコプターから空撮された丸の内は海の底のようだ。宝の山のように集められた瓦礫。煙ににじんだ不透明な深海の丸の内はまるで青い鳥の住んでいる森のようだ。青い鳥は森から抜け出ると死んでしまうものだから、青い鳥が死なないように丸の内をいつまでも惨劇の森としてリピートしつづける。青い鳥のために惨劇の記憶は何度でも再演されなければならない。爆発してガラスが飛び散る瞬間を、爆死する青い鳥を何度もフィルムでリピートしつづける。

青い鳥の思い出の国のおじいちゃん、おばあちゃんみたいに、思い出してくれれば何度でも会えると言うけれど、爆破直後の丸の内を思い出すたびにおじいちゃん、おばあちゃんは何度も爆死を演じてしまうのだろうか。永久に爆死を演じることを宣告された青い鳥のおじいちゃん、おばあちゃんのために鳴りつづける四つ打ちに、BPM300で疾走する Kill,Kill,Kill,Kill,Kill,Kill,Kill,Kill。バスドラの四つ打ちをサウンドトラックに丸の内爆破のシーンが映画のトップに浮かび上がる。タイトルは『丸の内栄養分析表服務規律』。ガラスが窓から地上に崩れ落ち強烈な低音を響き渡らせた腹腹時計の大先輩でありネタ本でもある栄養分析表が登場する。
栄養分析表が説く人民の総武装、毛沢東が言うように爆弾や銃から政権がうまれるという具体的な武器を手にすることなしに権力を掌握できないという軍事主義の本質は、戦争や軍事は政治の延長ではなく、政治が戦争や軍事の延長に、政治は戦争や軍事の指導下にそのイニシァティヴを渡さなければならないだろう。利害と対立の調整が政治の本質なら、戦争や軍事は相手の利害と対立そのものの消滅、要するに戦争や軍事の最終目的は相手の消滅なのだから、栄養分析表は全世界のブルジョワ階級の消滅、あらゆる階級の消滅を目指す、誰もいない消滅した不毛の荒野を要求する。プロレタリア独裁の本質は、権力の消滅のために権力を行使するのではなく、世界の消滅、なにもない不毛の荒野が権力を行使することであり、ロブ=グリエがジェームス・ジョイスは何かを書いているのではなく、「何か」そのものを書いていると言ったように、共産主義は敵対階級の消滅ではなく、消滅そのものがあらゆる階級に先行して権力を握ることを要求する。

連合赤軍の唯銃主義は、銃は手段ではなく目的であり、銃にわたし達をあわせること、肉体を鉄の銃に変化、同調させることなら、肉体は間違いなく確実に爆発して街を戦場化できる爆弾であり、塩酸を利用した火炎瓶の瞬間的発火装置、黒色火薬製造法 NC(ニトロセルロース、綿火薬)製造法、AP(過酸化アセトン)製造法、HMTD製造法、NG(ニトログリセリン)製造法、RDX製造法、ヨウ化窒素製造法、ANFO(硝安油剤爆薬)製造法、PETN製造法、テルミット製造法、ヘキサメチレンテトラミンジニトレート製造法、硝酸カリウム+ビタミンC火薬製造法、ニトロ牛乳製造法、尿素硝酸塩製造法、塩素酸カリウム+砂糖焼夷剤製造法、メチル硝酸爆薬製造法、雷酸第二水銀(雷こう)製造法、硝酸カリウム+砂糖火薬製造法、TNT製造法、砂糖火薬、HMX製造法、イエローパウダー合成法。

AP(過酸化アセトン)製造法。APは敏感であり扱いには注意が必要だが、簡単に合成できる爆薬である。製造法にも数種類あり、検閲削除どれもが簡単に入手できる薬品で作れる。検閲削除
イスラエル検閲削除へのテロで度々使用され効果は実証されている。
爆速は普通に作った物でも3000m/Sec検閲削除(理論値は5300m/Sec)を超え、威力は黒色火薬:笛ロケットの推進薬:過酸化アセトン=1検閲削除:5:30といわれている。
ここでの検閲削除 とは特に指定の無い限り30%検閲削除 である。
合成方法1(最も簡単検閲削除)検閲削除
材料
検閲削除  検閲削除 検閲削除 検閲削除 検閲削除
製造
合成を容易にする為、合成の前に検閲削除 と検閲削除 を冷蔵庫に、検閲削除 を冷凍庫に入れて検閲削除冷却しておく。
検閲削除 に検閲削除 を1:1でビーカー等に注ぐ検閲削除。
ビーカー等の反応容器は蓋の無いガラス製の検閲削除ものを使い、水と氷を入れたアイスバスで0度に冷却しながら検閲削除2液を混ぜる事。
25度以上に液温を検閲削除上昇させないよう検閲削除にする検閲削除事。
15度以上に上昇しそうになった場合には検閲削除 を注ぐのを検閲削除やめて冷えるまで待つこと検閲削除。反応容器を触り明らかに30度検閲削除以上になってしまった場合には氷を反応容器検閲削除内に入れて温度を下げる方法を取らねば検閲削除ならないが、氷をなるべく検閲削除入れないようにしたいので液温には十分注意を払う事。熟練せずに、一回に大量に合成しようとは思わない、検閲削除また実行しないこと。検閲削除検閲削除(大事故の原因となる)検閲削除検閲削除検閲削除。
2液を混ぜ終わったら検閲削除検閲削除を、2液の混合液:検閲削除 =2:1(つまり3液の比率は1:1:1となる)検閲削除で混ぜる。検閲削除このとき検閲削除かなり発熱するので検閲削除注意する。検閲削除異常発熱した場合には安全を図るため検閲削除に混ぜている検閲削除液を全てアイスバスに流す事。検閲削除検閲削除検閲削除。
検閲削除3液を混合し終わったら反応容器に紙やサランラップ等で埃等の検閲削除混入防止の蓋をした後、半日~2日(1日を推奨)放置し、反応検閲削除容器内の固形物と検閲削除液をろ過して検閲削除固形物を取り出す検閲削除。検閲削除これが検閲削除AP検閲削除である。

ぶちぶち、ぶちぶち、下品な音をたてるシンセベースの循環する反復音に、思い出すたびになんどでも会えるよ、なんていう『青い鳥』のMCがベースラインのリズムにのりそこねながら、息もきれぎれに叫んでいる。四小節のあたまにくるたびに思い出す。そうだ丸の内でわたしは爆死したんだと。思い出すたびに死ぬ。そして『惑星ソラリス』みたいな思い出せばなんでも目の前に実現する思い出の国で、丸の内も思い出の国で再現してみようよ。『青い鳥』のおじいちゃん、おばあちゃん。悲しんだり泣いたりしないでもっと享楽することだよおじいちゃん、おばあちゃん。享楽する以外になにもできない思い出の国なんだから。青い鳥は思い出の国や未来の国を出るたびに黒くなって死ぬんだから享楽する以外になにもできない。だから最悪なことを思い出して享楽しょう。『嵐が丘』のキャサリンが心で描いた夢は、キャサリンがヒースクリフになること、さんざんなことをしてきたヒースクリフになること、わたしはヒースクリフよと叫び、キャサリンを破壊しようとする人間と同一になろうとすること、「荒々しいひとたちだけが強奪することのできる」嵐が丘と同一化することは最悪の享楽であり、おじいちゃん、おばあちゃん、栄養分析表と丸の内の惨事に同一化し享楽しよう。わたしは腹腹時計であり栄養分析表だった。わたしは丸の内の三菱重工の前で完爆した爆弾だった。テーブルの上にマーラーの胸像を置き、サン・ジュストの蒼白い顔の肖像に見惚れてギロチンと同化する夢を見る。首を切られたブルジョアはわたしであり、切られた首を高々と掲げる執行者のサムソンも、その首に熱狂する民衆も、流れ出る血をハンカチに吸い込ませようとするご婦人もわたしだった。
未来の国では死んだ人が自分の墓のなかに青い鳥を隠しているという噂があり、どんなに悲しいときでも、子供とキスさえすれば涙は星になるという噂が公然と語られる。誕生を待っている子供達はそれぞれ大切なテーマを抱え産まれてくるのをいまかいまかと待っている。子供はなにかひとつ自分の運命を持って産まれなければならないらしくて、馬車の車輪ほど大きいひな菊をつくる子供やメロンほど大きなリンゴをつくる子や、けれどその一方で大きな罪や病気を持って産まれなければいけない子供もいる。そのなかには当然いるだろう、爆弾を抱えて産まれなければいけない子供達、栄養分析表を抱えて産まれる子供達、丸の内におとしまえを強要するために産まれてきた子供達。

ロシア皇帝を爆死させ、その直後に遺体を抱きかかえて泣いたエスエル党員は、殺人の後悔、ヒューマニズムのために泣いたのではない。それはエクスタシーの頂点で泣いたのであり、最悪の事態を快楽と感じることが革命家なのだ。「悪霊」のスタヴァローキンの隣の部屋で縊死した少女の顔を思い浮かべて快楽を感じることであり、「罪と罰」の疲労した馬が鞭打たれて死んでいく、その馬の顔を思い浮かべて恍惚とする。涙をうかべて死んでいく馬の眼のなかで恍惚としながら、その死んでいく直前の馬の瞳のなかにわたしが消えていく。ロシア皇帝を爆死させたその瞬間にわたしも爆死するだろうし、陵辱した少女が縊死するその瞬間にわたしもまた縊れはてるだろう。
縊死した死体の口からはみ出るのびきった舌を想像する。筋肉の力が放棄され弛緩した口元からだらしなくのびる舌。だらしなくのびたままなんの役にもたたない怠惰な舌。そのぬけがらの蛇のような舌に恋をすること。肉欲の感情をおぼえること。望郷の念をおぼえること。のびた舌との熱狂的な恋。

金村修


関連イベント:トークショウ

「写真に於けるオルタナティブスペース」

自主ギャラリー黎明期の貴重なお話を中心に当時どういう活動が行われていたのか、
写真作品に於ける展示の意味などをお伺いしたく思います。(The White 主催 澤田育久)

金村修(写真家)+タカザワケンジ(評論家)+澤田育久(写真家)+田口芳正(写真家)
2月22日(土) 18:00〜19:30
会費:¥1,000(ワンドリンク付)
定員:20名
要予約 ※お名前、人数を明記の上、メールにてお申し込みください。
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