Exhibition 展覧会情報
「静脈 VEIN」

森谷雅人「静脈 VEIN」
2016年11月8日(火) 〜 11月19日(土)
13:00〜19:00 日・月曜 休み


ステートメント:
街の端から撮り始め、街を一巡するまで撮る。それをすべて現像、プリントしコピー機で複写する。それをファイルし、また同じ街を端から撮り始める。街を一巡するまで撮る。 街はフィルムに転写され、印画紙に転写され、コピー用紙に転写される。コピーのファイルは無限の撮影行為の目録として厚みを増していく。 街の姿は繰り返される転写の中で、その情報量を減衰させていく。原色の街は、反転されたモノクロのネガになり、再び反転して印画紙のプリントになる。プリントは解像度が限定されたコピー機で複写され、事務用ファイルに無造作に収まる。

写真の不思議のひとつは、写真家の目論みを写真自身が軽々と越えていく事だ。 分厚く積み上げられた目録のを一枚ずつ眺めいくうちに、なぜか写真家のページを繰る手が止まらなくなってくる。それは神経症的な、何度も繰り返し見る夢の様なもので、街を歩き回ったときの疲労感や、ファインダー越しに見た風景への興奮、住宅街というモチーフに対する疑念などの記憶が甦り、写真家の無限の撮影行為が机上で再現されるのだろう。 また、繰り返す転写による情報量の減衰は、単に目録を荒れた写真の束とするのではなく、意図的なミニマリズムとは違った形で写真を擬似的に抽象化し、統一感のない撮り方でセレクションを必要とした大量の写真を、平均化された作品群にすることに成功している。写真家の本来の目的である、写真による街の再構成は、展示するまでもなく、すでにこのコピーのファイルで実現しているかに思えるのだ。 現実風景からフィルムへの転写には精密機械の技術が、フィルムから印画紙への転写には化学の技術が、印画紙からコピー用紙への転写にはデジタルの技術が介在する。これらの技術は、写真家の発想、情感、技術など関知しないし、転写の過程における情報量の減衰にも責任を負わない。それぞれの技術は粛々と作業を進め、規格通りの製品を写真家に納入する。それを作品として受け取った写真家は、シャッターを切る事、暗室でタイマーのスイッチを押す事、コピー機のスタートボタンを押す事以外、何に関与したかを思い出そうとする。 やがてそれを諦め、また同じ街に向う。街の端から撮り始める。興奮も落胆もない。無限の撮影行為の意味を知る必要もない。

工業技術の女神に傅く忠実な侍者としてのみ、写真家はその存在を許される。

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