Exhibition 展覧会情報
「六七海岸」


石垣裕「六七海岸」
2018年8月21日(火) 〜 9月1日(土)
13:00〜19:00 日・月曜 休み



■ ステートメント

この数年、夏になると週末はよくビーチに通った。
はじめは撮影の為というわけではなく、人々が大勢集まる海辺への好奇心や遊びのつもりで訪れた。
しかし、習慣のようなもので、荷物と共ににカメラを携え、よく晴れた日、強い日差しが降り注ぐ砂浜で、何か気になる光景に出くわせば、カメラを取り出し蛇腹を伸ばすと自然とレンズを向けてしまう。
そんな風に、一度切ったシャッターの音とファインダーの焦点に重なる自分の眼の運動に、暑さと気だるさの最中にあってぼんやりとした気分も後ずさり、 何だか視界がはっきりしてきて、目の前に拡がる砂浜、そこに集う人々の佇まいや仕草が気になりはじめる。
けれども、ここはビーチである。
水着姿で半裸状態の海水浴客の集まりのなか、声もかけずに近づき、カメラを構えて何度もシャッターを切っていては目立つ。
そもそも砂浜は遠くまで見渡すのに障害になるようなものはなく、毎年決まった場所に海の家が建ち、貸し出されたビーチパラソルがあちこちに立ち並んでいるが、皆、ビーチチェアに寝そべったり、腰掛けたりしていて、街中の雑踏のようには上手く人のなかに溶け込むことなど出来ない。
実際、撮影によるトラブルも少なくないようで、何度か私の目の前で、カメラを手にしたおやじが、黒ずくめの出で立ちの屈強な自警団らしき人間に腕を掴まれ連れられて行くのを見た事もあるし、そのような出来事に遭遇すると他人事ではなく、これまで街で出会い頭の人間にレンズを向けてきた私も、独特の緊張感に支配され、カメラを持つ腕も重くなってしまう。

海水浴場というのは近代以降の産物らしい。もともとは湯治場の一種であり、行楽で海へ泳ぎに来るといったものではなかったようだ。
高度成長期以降、「砂を数える」のように、余暇を楽しむ人々でひしめき合っていたであろう海水浴場も、もうあれほどの群衆を目にすることはない。
いまは海の家にしても、かつて私が子供の頃に親しんだようなものではなく、飲食の為のスペースはもちろん、電気設備が充実しているのか大型のモニターや音響設備もあり、クラブやライブハウスさながらで、現代の遊戯空間がそのまま浜辺に現れているようだった。
そうしたなかで、粗野で無責任な遊びに興じる輩も増えてくるようで(他人のことは言えないが)、近隣の自治体が何かと条例を作ったり、いまどきの海水浴場はなかなか厄介な場所でもある。

それでも、太陽の下、海辺に集う人の群れは、どこか疎ましくもあるけれど、無邪気で、ときに気だるさを湛え、目的もなく無為に過ごすつもりの私に幾度もレンズを向けさせるのだった。



■ 略歴

1973年 大分県生まれ。
東京綜合写真専門学校中退。
主な個展に、「life to live」(mole)、「IF IT BE YOUR WILL」(ギャラリー蒼穹舎)、「燃える森」、「131415 / The Range of Demands」(共にサードディストリクトギャラリー)等。
写真集 『in order to see』 (2010年、蒼穹舎)、『要求の射程』(2016年、私家版)を出版。

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