The White Report 月刊 ウェブ・マガジン
The White Report 2015年 4月号  毎月20日更新

–目次–
超訳球根栽培法   ・・・・・・・・・ 金村 修
百葉箱 Screen #13   ・・・・・・・・・ 小松 浩子
愛の神々を買わないか   ・・・・・・・・・ 大山 純平
There is a method in our madness.
〜我々の狂気には筋が通っている〜
  ・・・・・・・・・ 澤田 育久
超訳球根栽培法
金村 修 (写真家)
現実をそっくりに撮れるといっても、現実の人物や風景をフレーミングして、断片化し、三次元的空間を二次元的に平面化させてしまう写真は、その過程で現実に存在する様々な要素やノイズを削ぎ落としてしまう。フレーミングしたことで、フレーミングから外れたものは当然写真には写らないし、親子や夫婦、恋人、友人を写しても、その社会的な関係は写真にコメントをつけて説明しなければ、それらの対象がどんな関係の人達なのか見る側には分からない。画面構成を邪魔するものはノイズとして排除され、現実世界に存在する匂いや音は写すことができない。その社会的な関係まで含めて現実を再現するのではなく、写真は現実のある部分を省略して、多少なりとも美化するか、希薄化するかして被写体を表出する。現実の様々な要素を排除して、どんなに悲惨な光景も、写真は鑑賞に耐えられる程度の美的なものに対象を変質させる。
直接体験していないものは美しい。空襲を山の頂から見れば美しいと坂口安吾が書いていたように、映像は目の前の現実を遠い幻影のようなものに変えてしまうだろう。写真のフレーミングはどんなに不調和で均衡が崩れた現実も、収まりのいいバランスを持ったコンポジションの秩序に回収させる。写した被写体を邪魔するかのように、画面の手前に前ボケするように入るノイズ的な対象物も、視野を妨害するような苛立ちを感じさせずに、画面を構成する一要素として機能する存在に変質させる。写されたすべてのものは美しい。写真は美しくなることから逃れられないだろう。どんな悲惨な現実も美しく撮ってしまうし、悲惨という名の美しさを求めて、さらに悲惨な現実を右往左往して探そうとする。悲惨な現実の光景は美しいのだと、写真はわたし達を誘惑する。悲惨な光景を美と快楽に変換させる写真は、悪魔が要求するように非人間的な“美”を追求する。
現実が写真に撮られると、パースペクティブな遠近法ですっきりと配置され、分かり易く構成される。物同士が本当はつながらないまま、そこにただあるのが現実の実態であるのに対して、写真はその現実の無秩序な関係に遠近法や調和のとれたコンポジションという秩序を導入する。現実に対して一定の秩序を構成しようとする写真は、最終的に無秩序に配置された現実のノイズ性を消去しようとするだろう。ノイズの側に存在する無秩序な現実をヒューマニズムの領域に回収する。写真に限らずノイズを排除して、分かり易いパースペクティブな遠近法の中に現実を再構成してしまうのは、それは映像が持っている宿命のようなものではないだろうか。
小学生の時に日本テレビの24時間チャリティ番組の一環でやっていた障害者ドラマ『典子は、今』という手足が不自由で車椅子に乗っている典子という名の若い女性が悪戦苦闘して生きていくドラマを学校で見たことがある。それを見ながら泣いてしまう同級生もいたけれど、一方では典子の不自由な喋り方を真似して、げらげらと笑い合う同級生もいた。目の前に現実の典子がいたらその同級生は笑うというリアクションは多分起きなかっただろうし、もっとシリアスで神妙な態度で典子に接しただろう。けれどその姿が映像化されると悲哀感を誘発する典子の姿が、何故かたちまち喜劇的な様相を示しだす。目の前で典子が、その顔の筋肉が麻痺したような喋り方をしても、いきなり笑い出し、それを見て真似をする人間はいないだろう。けれど、その姿が映像化されると何故かその不自由な顔の動きを真似しようとする人間が続出してしまう。現実からリアリティーを奪い、深刻な事態を喜劇的なホラー映画のように変質させてしまう映像の下劣さ。その出自がポルノグラフィーや見世物小屋出身でもあるという映像のいかがわしさが、どんな深刻な映像にもその下劣な正体を曝け出してしまう。
映像は社会的な関係やモラルから被写体をいきなり切り離す。テレビの画面に現れた典子は、“善悪の彼岸”に存在する典子であって、けなげに生きていく血も涙もある人間の典子ではなくなってしまう。典子についてメロドラマ的な誠実さで、いくらナレーションで語ってみても、画面に映った典子はよく分からない何かを呟きながら奇妙な動きをする、モラルの彼岸にいってしまった物体としての典子なのだ。健常者の世界から遠く離れたもう一つの人間としての典子が現れる。カフカの『変身』で、あれだけ家族に尽くしたグレーゴル・ザムザが虫に変身したら、その途端、家族から物を投げられ、邪険にされ、最後には衰弱死を強制されたように、社会的な関係の総体から切り離された存在は物でしかなく、関係を断ち切られた単独の物でしかない物質に変質させることが、映像が無意識下に隠し持っているもう一つの性格なのだ。でなければ映像化された典子をあんなに笑う人間が出てくわけがないだろう。典子の真似をしていた彼の姿にクラス中の同級生が爆笑していたのは、クラスメイト全員が悪質な差別主義者なのではなくて、無意識下に“悪”を抱えている映像の性格が典子を奇妙なオブジェに変身させて、わたし達を爆笑するようにそそのかしたのだ。
映像化されることで物質化された『典子は、今』。小学生がその姿を笑いながら真似するのは、それが物質となった人間ではない、たんなるフォルムに見えたからなのだろう。物質が何かについて語ろうとし、人間のように振る舞おうとするのは多分不気味なものだと思う。チャップリンが機械の真似をすれば笑いを取れるが、機械が人間の真似をすればそれは笑いではなく、得体のしれない何かを感じさせるのではないだろうか。『典子は、今』の真似で笑っていたクラスメイト達は、得体の知れないオブジェを真似することで、自分を物質化しようと試みたのかもしれない。映像が被写体の輪郭を模倣しながら、まるで違う何かを表出してしまうように、典子の真似をする彼らも人間の領域から離れた何かに変質しようとする。
ナレーションもなくただ映像だけで見終わってしまえば、『典子は、今』はただ不気味な印象しか与えないだろうし、映像はそもそもどんな映像でも被写体を社会的モラルから切り離し、別の何者かに変換させてしまう。映像は人間の領域にではなく、非人間の領域に存在する。『典子は、今』に過剰なくらいにナレーションが被さるのも、言葉の説明を挿入することによって映像を人間の側に回収するためにナレーションが多用されるのだ。写真展をやっていると、これは何を撮っているのかとよく聞かれるけれど、ストレートに街を撮っているのだから聞かれる度に見れば分かるだろうと思っていたけれど、カメラは当たり前の日常を得体の知れないオブジェに変質させてしまう装置だから、言葉という社会が共有できるもので、オブジェに変質した現実を人間の側に回収するための確認作業として、何度もこれは何かと聞いてくるのだろう。通常のドキュメンタリー写真展示では、一枚一枚写真の下にキャプションが貼られているのも、キャプションの説明が、写真が人間の世界に留まっている最後の保証書であって、それはまだ不可解なオブジェに変質していない、人間の領域に存在する被写体であるという人間側の証明なのだろう。
ザムザが最終的に衰弱死させられたのは、外見は完全に虫なのにそれを見ている家族はそれが自分達の息子だと知っていたからだ。彼らはその虫が、かつては何者であったかを知っていた。家族のためによく尽くす、いい息子であり、優しいお兄さんであるということを知っていた。そしてそのザムザに対する記憶と、現実に虫の外見をしているザムザとの齟齬感を埋めることができないと分かってから、彼らはザムザを衰弱死させようと決意した。写真が発明され、肖像画の代わりに写真でポートレイトを撮られることが流行った20世紀の初頭では、写真を撮られた人間が、この写真はわたしではないと皆言い始めたという話がある。自身の頭の中に抱いている自分のイメージと、写された写真の自分の像との奇妙な齟齬感。それは『変身』のザムザと家族の齟齬感とよく似ている。ザムザなのにザムザではないように、肖像写真はわたしなのにわたしではない印象を撮られた人間に与える。ザムザは虫に変身したから、その外見は人間の姿とかなりの乖離があるのでその齟齬感は分からないでもないけれど、肖像写真のわたしがそっくりわたしに似ているのに、わたしではないと感じてしまうその感覚は、『変身』以上に強烈な齟齬感だと思う。その齟齬感は埋めることはできないだろう。写真に写ったわたしは、基本的には変身したザムザと同じ昆虫的な存在なのだ。ザムザの家族のように本当はわたしがわたしにリンゴをぶつけ、わたしがわたしに衰弱死を強要しなければいけないのだと思う。カメラの写実性はだから、ザムザを虫に変身させられたことと同じ行為を被写体に強要する。わたしが写っている。けれどそれはわたしではない。わたしを写すとわたしでないものを産出するカメラは、それはわたしがわたしである根拠を揺るがしてしまう機械なのではないだろうか。自身の根拠の曖昧さを確認するために人は、世紀の発明であるカメラの前に並んだのだろうか。
写真は人間を物質に転化させる装置であって、見ている人間にヒューマニズムを喚起させる装置ではない。わたしとそっくりの輪郭を持ちながら、それはわたしではないという不安感を与える不可解なオブジェを生産する装置としての写真は、外見は前と同じだけれど、内面は宇宙からの未知の生命体に浸透され、街中のすべての人がべつの生き物になってしまったドン・シーゲルの『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』とよく似ている。未知の生命体に浸透され、洗脳された結果、自分が自分でなくなる。自分が所有していた記憶が完全に書き換えられる。写真も被写体を写すことで、未知の生命体に浸透された人間のように記憶や社会的なつながりを被写体から切断する。『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(“クローンによってある街がー地球そのものまでー乗っ取られて人類が全滅するという生々しく、よりリアルな寓話として迫ってくる。赤狩りでハリウッドから追放されたシナリオライター、ダニエル・メインウォリングの脚本なので、明らかに人間の顔をした反共主義者によってハリウッドが「盗まれた街」に成ってしまうと言う恐怖の寓意になっている”山田宏一)、洗脳と入れ替わりの恐怖をSF的なかたちで隠喩的に語った原作『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』をドン・シーゲルは、それが洗脳と入れ替わりという人間性の破壊だけではなく、人間の内面が破壊され、物質化される恐怖は、映像が本来的に持っている本性なのだということを暴露する。D.W.グリフィスが“映画に必要なのは拳銃と女だ”と語ったのは、拳銃がイメージさせる暴力性と、性的存在として客体化される女性の物質化が映画を成り立たせるのであり、そこには人間の内面を必要としない。むしろ人間の内面性を破壊し、俳優という人間の物質化を強要するだろう。“拳銃と女”は同義的な存在であり、映画は女性を人間ではなく、拳銃と同じ物質に変質させる。リリアン・ギッシュの美しさは内面の輝きが表情に表われたのではなく、映画的な物質として表層的に美しいのだ。
ドン・シーゲルが“アクションははじまっている、それはそこにすでにもうあるのだ”と語るのも、すでに発生しているそこにあるものを映画は写せばいいのであって、そこにあるもの、それは俳優という人間ではない。映画にとって必要なのは俳優という人間よりも、アクションという人間側にも、どこにも存在しない“出来事”が必要なのだ(アクションという“出来事”は、どこにも所属しない。例えばある人物がナイフで他の人物を刺すという“出来事=アクション”は、刺した側にも、刺された側にも存在しない。“出来事”は刺す、刺されるという能動と受動の関係の外に表われるものだから、それは存在するというよりも、表層的にしか表われない。“出来事”の性格はだから表層しか写らない映像と近似している。ドン・シーゲルがアクションを撮れと言うのも、映画は人間という存在ではなく、“アクション=出来事”という表層しか写らないからだ)。俳優の内面性は誰も必要としていない。リリアン・ギッシュのクローズ.アップは、彼女の内面を表出するためにクローズ・アップになったのではなく、物質的にその顔が美しいから、クローズ・アップが使用されたのだ。個人の内面性を故意に無視する映画は、まるで50年代のアメリカ人が思い描いていた共産主義者のイメージに近似している。映画に必要なのは個人の人格や内面ではなく、彼らが恐怖した共産主義者の洗脳のような人間の物質化であり、人間を物のようにして、奴隷のように扱うことなのだ。
『典子は、今』は、『遊星からの物体X』や『クリスチーヌ』を監督したジョン・カーペンターに制作させるべきだったと思う。どんな生物でも同化し、どんな生物にも変身できる物体Xは、まるで映画の原理的な存在のようであり、『典子は、今』を見て、真似しようとした同級生の彼の行動は、何にでも成ることができるという映像の原理に突き動かされた結果、なのかもしれない。『遊星からの物体X』のラストで、相手が物体Xに同化されているかもしれないという不安と恐怖を抱えながら、疑心暗鬼になって互いに酒を飲んでいる南極観測隊員の二人の姿は、手探りでぎこちなく『典子は、今』の真似をしていた彼の姿とそっくりのような気がする。
人間の心や苦悩を描こうとして結局それが小学生のネタになってしまった『典子は、今』を、カーペンターならそこに哀しみや良心という曖昧でフィルムに写ることのできない観念的な存在を、映画『クリスチーヌ』でその曖昧で見えない心を物質的に表出したように物質化することができるだろう。『クリスチーヌ』での人間の心を体現したガラクタのキャデラックが暴れまわることで見事に物質化したように、心なんて写らないし、そんなものは映像の中では存在することができない幽霊のような不確実な心を、キャデラックで物質化することでカーペンターは心をフィルムに現すことができた。人間の心を持ったキャデラック、クリスチーヌが主人公の男性に、カー・ラジオから甘いラブ・ソングを鳴らしながら愛を告白する。カー・ラジオから流れる音楽で愛を告白するという心の思いは、ラブ・ソングの歌詞でクリスチーヌの心が表現されたのではなく、カー・ラジオで番組を聴くためにチューニングを合わせるとき発生するノイズという、機械が発生した音響の物質性が心を表現する。チューニングがなかなか合わないノイズまじりのギーギーいうラジオの音に、愛の告白を聴くことができるのは、愛という心は人間の領域にあるものではなく、チューニングの合わないラジオのノイズのような音響物理学の側にあることを『クリスチーヌ』は証明したのだ。心が物質化された存在としてのクリスチーヌ。心を人間の領域に回収しようとした『典子は、今』が結局喜劇的な反応に終わってしまったのは、心を曖昧な内面側の存在として人間がコントロールしようとしたからで、『クリスチーヌ』のように心を物質の側に引き戻したから、心がフィルムの中に定着することができたのだと思う。
写真についていつも言葉による説明を要求されるのは(街が写っているのに、これは何が写っているのかという質問はよくされる。これは街が写っていると答える以外にどんな返答をすればいいのだろう。分かりきったことを再度言葉によって確認しなければならないぐらい、写真は不穏で不気味な存在なのだろうか。そして何故これを撮るのかという撮影動機も必ず聞かれる。写真に動機という内面を要求するということは、彼らは写真を人間の側に引き戻したいのだ。動機も何も存在しないうすっぺらな写真をそのまま、意味のないオブジェとして放置しておくことが彼らにはできないのだろう)、写真が被写体を奇妙なオブジェに変質させてしまうから、言葉でこれは何々であるという説明がなければ、意味もなくそれが美しいものに見えてしまい、実体も分からずに美しく見えてしまうことが心配なのだろう(美しいと思ったり、面白いと思ったものが実は屍体だったり、フリークだったりしたら、それをそう感じた自分の心が不幸な現実を美しく思ってしまう、良心に反した、まるで悪魔のような人間にならないために、事前に説明が要求される)。原爆投下によっておきたキノコ雲は美しいけれどそれを美しいと思い、言ってしまうグロテスクな自分の感覚を排除したい。社会のモラルに忠実でありたい。その反ヒューマニズム的でグロテスクな本性を持つ写真の罠に陥らないためにも言葉の説明は必要なのだ。
写真は写したすべてを美しく見せてしまうというグロテスクさを無意識に潜ませている。そのグロテスクさを浮上させないためにも言葉による説明は、常に要請されるだろう。説明を排除することで、世界は物質的な美に溢れ出す。けれど言語化されることで、写ったものが映像から見えなくなる。彼らはものが見たいのではないのだ。写っているものを、ただ言語で確認したいだけなのだ。いつまでも街は街である、人は人であるという無限のトートロジーを繰り返す。写ったものは、写される前の名前に常に回帰していなければならないと不安神経症のように、いつまでも説明と確認を続けていたいだけなのだ。写真は物質が持っている美しさを、『典子は、今』のように突然、無防備にいきなり曝け出してしまう危険がある。だからより強く映像には説明が要求されるだろう。
映像は現実の様々な要素で構成された総体から、ある部分を切り取ることで被写体に附着したノイズを洗浄して記号化する。レンズのボケ具合を生かせと、たいていの写真入門書に書かれているその理由は、写した被写体に無防備にくっついてくる現実のディティールを抹消したいためなのだと思う。その手の入門書を執筆しているカメラマンにはディティールはノイズでしかないから、それを抹消しようとするのだろう。ノイズが消去され記号化された被写体は元の現実の総体から切り離されたことで、美やイデオロギーの伝達手段になることもできれば、様々な解釈を可能にさせる可能態=マテリアルに変質することもできる。現実の記号化は障害を抱えて生きていく典子という現実態の存在を、多元的な解釈が可能なテキストに変質させることができるだろう。可能態=マテリアルとしての『典子は、今』。小学校の同級生のように身体を使って典子の模倣をすることは、『典子は、今』を可能態=マテリアルの次元に変質させることであり、映像を体験するということは、画面の前に座って、そこから伝達される単一のイデオロギーに感激することではなく、何にでも同化する“物体X”のように画面の中の対象を模倣し、同化し、それに変身することだ。『典子は、今』を見て泣くのではなく、典子の顔の筋肉の動きそのものに同化、変身することが映像を体験することなのだ。
悲劇がいきなり喜劇に転倒するように、映像は笑ってはいけない現実を、げらげらと公然と笑らえる感覚に人を誘惑しようとするだろう。典子の真似をしていた同級生の彼はべつに差別主義者ではなく、人を笑わせることが好きな愉快なひょうきん者だった。彼が典子の姿を見てこの真似をすれば笑いが取れると瞬時に判断させた原因は、彼の個人的な性格ではなく、映像が本来的に持っている性質なのではないかと思う。ポリティカル・コレクトネスの観点で見れば彼は最低の差別主義者だろうけど、問題は彼の差別的な性格にあるのではなく、映像は人間のモラルから違う世界に被写体やわたし達を連れて行く、彼岸の力が存在することが問題なのだ。被写体から尊厳や人格を奪ってしまう力が映像には存在する。ユージン・スミスの『水俣病』を見て、チッソ患者の真似をして笑いを取ろうとする人間がどの世界にも必ず存在するだろう。小学生の同級生だった彼は、水俣病や、イタイイタイ病の患者の真似までして同級生達の笑いを誘い、先生達の怒りを買っていた。
江戸川乱歩は『芋虫』で、戦傷で手足をもぎ取られた満身創痍の芋虫のような軍人に欲情する女性を描いた。マッチヨなイメージで語られる戦争のイメージの裏側に潜む病的な欲望が『芋虫』の中で顕在化する。マッチョの代表としての軍人を手足のない芋虫の姿に変質させることで、性的欲望を喚起させるこの小説は、死や奇形を性欲に結びつけることで、性を死や奇形と隣接させようとしたのだろうか。江戸川乱歩が原作の石井輝男の映画『恐怖奇形人形』で、世界を不具者ですべて埋め尽くしたいと語る土方巽の欲望は、フレーミンングという切り取りで現実を奇形化して提出する写真の欲望と近似している。映像は現実を『芋虫』のように奇形的に表出しようとする欲望が無意識の底に潜んでいるのだ。現実を『芋虫』のように変質させる。対象を奇形化することで性的欲望が喚起される。現実をフレーミングで畸形化する写真は、性的欲望と密接な関係にあるのかもしれない。その人そのものではなく、何かに変質させる(クローズ・アップという技法は、俳優の身体を奇形化する欲望ではないだろうか)。例えばフェテシズムの欲望が人間の身体を部分化、奇形化することで喚起されるように、性的欲望も対象を奇形化することで発動されるだろう(映像もフェテシズムの欲望を喚起させるために重要な役割を果たすだろう。フェテシズムは現実の奇形化を促進する映像によって更に推進される)。性的欲望と奇形と映像は隣接した関係にあるのだ。性的欲望は対象を奇形的に物質化することで発動される。女性は子供をたくさん生み育て、銃後を守り、男性は乙種合格を目指すような健康でしっかりした身体を持って戦争に行かなければならないという健康と家族愛の幻想が戦争のイメージを構築するその裏側で『芋虫』のような奇形によって喚起される情欲が潜んでいるように、悲惨な現実や、けなげに働く人間や、天災に代表される理不尽な悲劇を写した映像の裏側には尊厳を踏みにじり、人間性を破壊しようとする洪笑が『芋虫』のようにどこかに存在するだろう。
映像にはポリティカル・コレクトネス的な判断を無効にして、破棄させてしまう悪魔のような力があるのだ。テレビで放映されている中近東の悲惨な映像を見ながらわたし達は食事をしたり、今日起きた出来事について笑ったり、語ったりしながらその映像をべつに悲しい気分にもならずに流し見することができる。映像の現実を抽象化する能力は、すべての事態を遠い出来事として自分からかけ離させ、お菓子のCMと破壊された街が対価の存在として映像の中で現れることを肯定するだろう。大量に放映される映像は、写した世界から悲惨や無残という形容詞を消去する。爆撃で破壊された街と柔らかい曲線形を強調したアイスクリームは映像においては等価なのだ。カメラは人間の中枢神経を通さないでそのまま写せる機械だから、そこに善悪の判断を下す主体が存在しない。それは昆虫の視線と同じで、悲惨な現実もただ奇妙なフォルムがあるようにしか見えない。食事をしながらそのような光景を見ていられるということは、映像は撮る人間も、それを見る人間も中枢神経を欠いた昆虫のような存在にしてしまうだろう。世界は奇妙で愉快な抽象的物体で溢れている。映像は人間の良心と共に生きるのではなく、昆虫のような無関心さと共に生きるのだ。映像を本当で使いこなせるのは人間ではなく、多分昆虫のような存在だろう。森山大道が盲目のホームレスを追いかけ回し、ダイアン・アーバスがフリークばかりを夢中に撮るのは、映像が本来的に持っている反人間主義的な快楽や、昆虫のように無分別に写してしまうカメラの中枢神経を欠いた反人間的機能に撮影者が引きずり込まれてしまうからだ。
いかにも女性のエロスを表現しました的な50年代の日本のヌード写真の退屈さは、女性の裸にエロスという欲望を感じることは、人間的で健康な欲望だという肉体讃歌的なイデオロギーを真実だと思い込んでいることが、それらの写真をつまらなくさせている。エロスというのは人間的な本能であり、自然なものなのだろうか。裸にエロスを感じるというのは、あるイデオロギー操作の結果によってそう刷り込まれているだけではないのだろうか。エロスという欲望は先天的に備わっているのではなく、後天的に学習された結果ではないかと思う。性的欲望は先天的、本能的に身体に存在している健康な欲望ではなく、健康とは裏腹の反身体的で、生身の人間の身体よりも、ヌード写真という記号にエロスを感じるような病的な観念性がその欲望の基底に存在する。ヌード写真の巨匠が撮ったいかにもエロス的な写真よりも、二流のカメラマンが撮ったポルノ写真の方が面白いのは、劣情は基本的にパターン化された記号操作の結果によって生まれるものであることを彼らは知っているからであり、彼らはだからクリシェ的な性的パターンをいつまでも反復し続け、その単調な性的パターンに、見る人間もまた退屈もせずにいつまでも発情し続ける。大多数の人間がこれで性的劣情を喚起するだろうというクリシェ以外に何も存在しないポルノグラフィーはほとんど記号の廃墟だ。わたし達は本物の女性に劣情するのではなく、この姿が劣情を喚起するのだという社会的な通念によって劣情を強制される。生身の身体に劣情しているのではなく、身体のコピー、生身の身体に写真という記号操作を施すことで劣情をおぼえるわたし達の性的欲望は、健康で本能的な劣情ではなく、劣情の劣情に劣情している病的な劣情なのだ。生身の女性を目の前にしても、そのリアルな身体にグラビアのヌード写真で見た痴態の記憶を重ねて、その記憶を身体にヴェールのように被せ、二重写しさせることで初めて劣情することができる。劣情をおぼえることは、グラビア写真が氾濫する社会の無意識的な強制なのだろうか。スイッチを押されるように劣情する。わたし達は劣情することを強制されることに劣情しているのかもしれない。飽き飽きする程、同じような劣情パターンが続くポルノグラフィーを見て、劣情するわたし達の性的欲望はジャンクだ。どうしょうもなく情けなく、無残で使い古された記号で起動する病的な欲望としての劣情。性的欲望は本能的で健康な欲望ではなく、もっと病的で発狂した欲望なのかもしれない。
荒木経惟の劣情を喚起するのではなくて、ほとんど劣情のジャンクのようなSM写真。緊縛というよりも何か荷物を梱包しているような感じさえうける無残なエロス。欲情するというよりも笑ってしまいそうな、白目をむいたモデルの反エロス的な表情。エロスがまるで、そこら辺にゴミのように打ち捨てられている。エロスというのは人間の観念による記号操作なのだから、究極的にはこんなジャンクな姿になってしまうことを肯定しなければならないのだ。
エロスは荒木経惟によって喜劇に転化される。喜劇に転化されたエロスは、それはもうエロスと呼べるものではないだろう。本能としてのエロス、人間の側に存在すると思われていたエロスはジャンクで喜劇的な記号でしかなく、記号であるからそれは人間の内側に存在しない。それは外側に、外部の領域に存在する反人間的な物質の領域だ。アンチ・ヒューマニズムとしてのヌード写真。荒木経惟が撮るヌード写真のようにエロスはすでに喜劇であり、わたし達は笑いながら勃起することを強要される。笑いながら欲情するという、欲望の成立を不可能にする劣情の失調を受け入れなければならない。エロスとはジャンクであり、それは反本能的で、人間と対立する何かだ。美しさとは身体の徹底的な物質化であり、エドワード・ウエストンの女性の身体を美しい曲線のようにフォルム化するのは、彼が被写体を人間ではなく物質の側に転化するからだ。美しいヌード。それは人間の物質化であり、フォルム化された身体は、要するに『芋虫』のような身体の奇形化を肯定するだろう。“女が撮れなければ一流の写真家ではない”とあるヌード写真家の言葉は、ウエストンのように被写体を畸形化することが写真家の役割であって、生き生きとした生を想起させるような豊満な身体を写すのではなく、“女を撮る=女の奇形化”という、身体の廃墟を追求することが写真家の役割だと宣言しているのだ。
記号によって支えられた性的欲望は、その記号の物質的な性格上、人間の身体の側に存在するのではなく、人間の外側に存在する。性的欲望は身体に先天的に存在して、それが本能の赴くまま自然に喚起するのではなく、外側に存在する性的記号がわたし達に欲望を喚起するように強制する。性的欲望の主体はわたしではなくわたし以外の誰かであり、わたし以外の誰かによって性的欲望が喚起される。わたし達の性的欲望の正体は記号であり、その記号はジャンクな屑の山だ。
百葉箱 Screen #13
小松 浩子 (写真家)
昆虫とは節足動物門汎甲殻類六脚亜門昆虫綱の総称であり成虫の体は基本的に頭部・胸部・腹部の3つに分かれ胸部に肢が6本ある。世界の様々な気候・環境への適応により種多様性が非常に高く現時点で80万種以上が知られており、多彩な形状や色彩から収集・所有の欲望を誘発され、注射器・虫眼鏡・ピンセット・虫ピン・防腐剤・殺虫剤が包装された「昆虫採集セット」を近隣の玩具店で入手する。手順は昆虫を捕らえ殺虫剤、防腐剤の順に注射し虫ピンで箱などに固定するとある。日本に広く分布し比較的よく見られる精霊蝗虫を捕らえ標本にする事を試みるが殺虫剤を注射する事が出来ず、暫く虫籠の精霊蝗虫の様子を観察し解放する事になる。「昆虫採集セット」の殺虫剤は赤色に、防腐剤は緑色に両者とも食品添加物で着色された単なる水であり、殺虫剤・防腐剤としては機能しない事を後に知る。防腐剤とは微生物の侵入・発育・増殖を防止し腐敗・発酵を抑止する「静菌作用」を目的とした薬剤であり持続的に働くことが求められる。人間に対しては死体防腐処理・遺体衛生保全と呼ばれ遺体の消毒・保存処理・修復等により長期保存を可能にする技法を指し、遺体は葬儀専門の技術者や医学資格を有した医療従事者により化学的・外科学的に処理される。手順は1. 全身の消毒処理、及び洗浄を行う。2. 遺体の表情を整え、必要に応じて髭を剃るなどの処理を行う。3. 遺体に少切開(主に頸部など)を施し、動脈より体内に防腐剤を注入。同時に静脈より血液を排出する。4. 腹部に約1cmの穴を開け、そこから鋼管を刺し胸腔・腹腔部に残った体液や、腐敗を起こしやすい消化器官内の残存物を吸引し除去する。また同時にそれらの部分にも防腐剤を注入する。5. 切開を施した部位を縫合し、事故などで損傷箇所がある場合はその部分の修復も行う。この時、切開を行った部分にはテープ等を貼り目立たなくする。6. 再度全身・毛髪を洗浄し、遺族より依頼のあった衣装を着せ、表情を整え直した上で納棺する。となる。処理された遺体は注入される薬剤の濃度や量により数日~2週間程度までは常温での保存が可能であるが、定期的な防腐剤の交換等の維持・管理により生前の姿のまま長期保存し展示(例:ホー・チ・ミン、レーニン、毛沢東)を実現する事も可能である。使用される薬品は主にホルムアルデヒドと凝固剤であり、その他に反凝固剤(クエン酸ナトリウム、シュウ酸塩、フッ化物、カリシュウム隔離剤等)、石炭酸、皮膚浸透剤等が挙げられる。クエン酸ナトリウムには一から三まであり、クエン酸三ナトリウムは示性式が Na3(C3H5O(COO)3) の塩で心地よい塩味と香味を示すと言われ、酸味料・pH調整剤・調味料・香料・保存料・乳化剤として食品に添加される事がある。腐敗とは細菌・真菌・酵母等の微生物により生物由来の有機物、特にタンパク質等の窒素を含んだ有機物が分解される事を指し、腐敗アミン(インドール、ケトン)等の生成分解時に独特の臭気(主に硫化水素やアンモニアなどによる悪臭)を放ち形状も崩れ変容する。ファストフード店で購入した食品を常温で放置し数ヶ月を経過しても腐敗する事はなく購入時の姿のまま保存されるが、これは大量の食品添加物による防腐効果と考えられる。昆虫は外骨格が発達しており乾燥させるだけで数百年以上研究の実用に耐える保存性を示す為、昆虫標本作製時には防腐処理は一般的ではない事から「昆虫採集セット」における緑色の液体は防腐剤として機能しない食品添加物をあえて使用しているとの見方も出来るが、ファストフード店の食品の例からも食品添加物が死体の保存に機能している可能性は否めない。長期間日常的に食品添加物を摂取する事で生きながらに死体防腐処理・遺体衛生保全を自身に施している事になり、我々は死亡時に動脈より体内に防腐剤を注入し静脈より血液を排出せずとも生前の姿のまま保存される可能性が出て来たが、保存の必然性には疑問が残る。
愛の神々を買わないか
大山 純平 (写真家)
4/1 彼は私をフロイトが開発した精神分析によって治療してはいなかった。彼は、寝椅子を利用することを断念したばかりか、「自由連想」、すなわちフロイトの治療法において最も重要な手段を用いることさえ断念していた。彼は以下のように書いている。フロイトの精神分析は、本当に難しい治療法である。初心者がこれを実施しようとすれば、数え切れない障害を前にして、あっという間に気力を失い、方針も見失う。なぜなら、そもそも「どこから取りかからねばならないのか、ということをまったくわかっていない」からである、と。結局彼は、いくつかの方法を組み合わせて患者を治療していた。彼は連想検査を好んで実施し、「感情コンプレックス」がわかると、「かなり情け容赦のないやりかたで」意識の中に浮かぶ耐えがたいイメージについて語ることを患者に強いた。彼によると、このような方法を用いれば、「患者が自分の気持ちに決着をつけることにより、抑圧のもとにあった特異な精神のありようが明るみになり、崩壊する」のである。しかしながら、彼が意図的にやっていなかったとしても、こういった彼の治療は、医師と患者との間でサド・マゾ的関係を構築してしまうものであり、また、双方にサド・マゾ的な幻想をかきたてさせるには、うってつけのものだった。やるべきことが多すぎて混乱するかもしれません。何もかも1人で抱え込まず、誰かを頼ってみるのも1つの方法です。ストレスに注意して、休息を充分にとって下さい。和食を中心に献立を考えましょう。意外なきっかけから友達ができるかもしれません。1人だけ先走ると、チームワークを乱して不協和音を起こしてしまいそうです。冗談と本気を見分けられず、先走ってしまいがちでしょう。エイプリルフールの冗談まで間に受けないように注意して下さい。 4/2 安いからといって生活雑貨や日用品をまとめ買いするのは禁物です。それが裏目に出て、安物買いの銭失いにならないとも限りません。きれいになりたい、かっこよくなりたい、お金が欲しい、仕事を成功させたい、恋人と幸せになりたい…などと、欲望が多すぎて意識が散漫になっていませんか。優先順位を決め、目標を1つに絞って下さい。優雅な雰囲気を持っている友人に、秘訣を聞いてみましょう。参考にして自分にも取り入れて下さい。どっちつかずの態度でいると、相手が愛想をつかしてしまいます。曖昧な態度はやめて、しっかりとした意思表示をしましょう。冬の間、出会いに恵まれなかった人は、自宅でゆっくり過ごしながら、自分に何が足りなかったのか考え直してみるとよいでしょう。スタミナ不足かなという人は、にんにくを使った料理がおすすめです。口臭など気にしないで、昼間からでもどんどん食べましょう。 4/3 恋人に対する執着の強さが、マイナスの方向に働きます。「1日中あなたのことばかり考えている」という態度は慎んで下さい。せっかくの恋のチャンスを逃してしまうかもしれません。あなたが恋愛に対して、臆病になりすぎているからです。身構えないで、気軽に声をかけるようにしましょう。あなた1人ではこなしきれないほど仕事が回ってきて、どうしたらよいか分からない混乱状態に陥ってしまいそうです。抱え込まずに、助けを求めましょう。愛する恋人なのに信用できなくなるかもしれません。恋人との話し合いも明日以降にしましょう。持病のある人は症状が出そうです。いつもと同じだと思って、そのままにしておかないで下さい。すぐに病院へ行きましょう。 4/4 恋人が刺激を欲しがっているかもしれません。いつもは嫌がっていることでも、受け入れてあげて下さい。拒絶すると浮気されるかもしれません。神経質になると悪い結果になりそうです。決まった相手がいない人は、今日は人が集まる場所に出かけましょう。生活スタイルを変えると、運も変わるかもしれません。パーティーや異性を紹介してもらえるという話には、積極的にのってみて下さい。恋愛に結びつくかどうかは別として、人脈を広げておくと今後に活かせます。昨日までの暗い気分は消え、心に明るい光が射し込むでしょう。恋人と仲直りのセックスをするなら何か新しいテクニックを盛り込んで下さい。 4/5 初対面の人との会話中に話が途切れたら、ペットや動物の話題をふってみましょう。それで盛り上がるようなら、今後の展開も期待できそうです。たとえ親友からの頼みでも、借金の申し入れにはやんわりと断って下さい。その代わり、精神的な支えになってあげましょう。遊び仲間の1人だと思っていた異性に、突然恋心を抱くかもしれません。恋人関係に発展しそうな予感があります。一途な思いが通じ、好きな異性との新密度が高まりそうです。ただし、焦りは禁物です。次の段階に進むまでは慎重な行動をとりましょう。 4/6 友人の紹介やお見合いなどで知り合った異性と深い関係になるかもしれません。ベッドでの相性も申し分ないようです。独身の人には、親族からお見合いの話が舞い込んだり、恋人と具体的な将来の話をすることになったりしそうです。心を決めるときなのかもしれません。年の離れた異性との出会いがあるかもしれません。相手は芯の通ったしっかり者のようです。その人の将来設計に共感できるなら迷わず付き合ってみましょう。彼は東ヨーロッパ諸国から大量の飼料を輸入していた。また、化学肥料の貿易も行っていて、ワルシャワとパリには事務所があった。彼は個性が強く、一風変わっていて、独自の発想の持ち主で、しかも社会問題に関心を持っている人物だ、というのが彼についてのロストフでの評判だった。とはいえ、なんと言っても、彼は創造的で成功した商人として評価されていた。彼は菜食主義者でもあった。冬の間は外套も帽子も手袋も身につけず、冷水を浴びて病気に対する抵抗力を付けていた(当時の帝政ロシアでは、菜食主義は理想社会を目指す思想と結びついていた。晩年のレフ・トルストイは、菜食主義を支持し、狩猟と私有財産の放棄を主張していたが、彼にとってこれらの行動は、文明に批判的で、隣人愛に基づく現世的な宗教を構成する要素だった。やがてボリシェヴィキも、菜食主義という生活様式を、死刑制度や兵役、さらにはソ連の統一学校制度に反対する考え方や態度と関連があるものと見なすようになる)。彼は、安逸な人生を送ろうと一度は決意したことがあった。だがその後、そのように決めたことから逸脱するようになった。原理原則を重んじていた彼としては、これは不本意だった。彼は、ワルシャワに滞在するときにはいつもフランス人の経営する宿屋に宿泊し、やがて、新年は妻子を伴わずにワルシャワで親族とともに過ごすようになる。一方で彼は、午後に職場から自宅に戻った時、妻から時間通りにお茶を出してもらいたいと思っているような人物だった。気むずかしく、いつも働きづめで、神経質だった上に、情緒不安定で、人付き合いも苦手だった。 4/7 好みの人に巡り会えたとしても、邪魔する人や目障りな人が絶えないかもしれません。縁がなかったと諦めた方が良さそうです。今日は、できることなら外出しないで、家の中を整頓したり、入念に肌や髪の手入れをしましょう。ゆったりとした時間の中で自分らしさを取り戻せば、健康的な状態が続きます。おいしいものにお金をかけすぎているかもしれません。美食通の銭失いにならないように注意しましょう。 4/8 意中の人に接近できるなど嬉しいことが続き、気持ちも盛り上がりそうです。何事も前向きに取り組めますが、周囲から浮かないよう注意しましょう。長い付き合いをしている人は、相手から将来についての話を切り出されるかもしれません。心の準備はできていますか。何事にも臨機応変な対応を心がけて下さい。異性から評判の良い人の行動パターンやしぐさを研究してみましょう。参考になることを発見したら、何か1つだけ真似して、自分の行動に取り入れてみてはいかがですか。ただし、全てを真似してはいけません。あなたらしさが一番大切なのですから。想像上の美しい若い女性の肖像画[自画像だろうか?]が描かれている。女性の目は黒く、渦巻き模様―つまり無限の目印―を二つ並べて描かれている。そこには、ロシア語で「チョールト」つまり「悪魔」と書いてある。しかめつらをして歪んだ口をして、こちらに向かってにやっと笑いかけているように見える。 4/9 疲れを取るためにマッサージに行くと、かえって逆効果になるおそれがあります。気をつけて下さい。金銭トラブルに巻き込まれるかもしれません。借金やローンの肩代わりを申し込まれたら、たとえ身内であっても、相手の気分を害さないように断りましょう。些細なことが原因で、同僚と揉めてしまいそうです。精神状態が不安定なことが原因かもしれません。注意が必要です。パーティーなど多くの人が集まるような場所で、何気なく発した言葉によって雰囲気が悪くなりそうです。言動には充分気をつけて下さい。気持ちが集中できません。疲れもたまりやすい日ですので、体力に任せたセックスは控え、2人の時間をゆっくりと楽しみましょう。 4/10 突然の冠婚葬祭などで出費がかさみそうです。でも、いずれ何らかの形で戻ってくるでしょう。不自然に体が重いと感じたら、病院の予約を取りましょう。前のデートで気まずい別れ方をしてしまった人は、今日が仲直りするチャンスです。さりげなくメールから関係修復を始めてみましょう。昔の交際相手を忘れられないならすぐに連絡を取りましょう。素直な気持ちを伝えれば、前よりも良い関係を築けるかもしれません。ご無沙汰している友人や親戚にメールや手紙で連絡を取ってみて下さい。積極的に話しかけて下さい。明るいニュースが聞けるかもしれません。「社会をよくするためにお父さんとお母さんが犠牲になっても構わない」と言うと、父は怒鳴り散らし、自殺してやると言って私を脅した。十三歳の時には、殴るぞと言って父が私を脅すと言う事件も起きている。この時には、結局彼は殴りはしなかったが、祖父の写真にキスさせて、いつもきちんとした良い子でいます、と私に誓わせている。 4/11 何事も思い切って挑戦すれば、金銭的に潤うことになるかもしれません。大勢の人前で話をする予定のある人は、気合を入れて服装も話の内容もしっかり準備しましょう。出会い運が上昇しそうです。途中で放り出していることがあったら、今日片付けてしまいましょう。つい後回しにしていたことがあったら、今日こそ片付けてしまいましょう。気分がすっきりするだけでなく、意欲的な気持ちになれそうです。 4/12 寂しがりやで孤立することを嫌う同姓の友人が、終始まとわりついてきそうです。うとましくても追い払おうとせず、優しくしてあげて下さい。今日のあなたなら、それができるでしょう。恋人から待ち望んでいた一言が聞かれそうです。手持ちの携帯が旧機種なら、新しいものに替えてみて下さい。それに幸運な色のストラップをつければ金運も上昇します。以前なら四苦八苦してやっていたことが、今日は円滑にできそうです。運気のせいだけではなく、実力もついてきています。今後あなたの人脈を広げるのに一役買ってくれそうな人が現れそうです。失礼のないよう、くれぐれも発言には気をつけて下さい。新たな何かを始めるよりも、今あるものを楽しむべきです。やはり大好きな恋人とのセックスが何よりの幸せではないでしょうか。 4/13 災難続きで疲れている人は、セックスよりもキスや手を握るなどの温かさが必要です。恋人に素直な気持ちでお願いしましょう。心も風邪をひくものです。元気が出ず出会いもなくても、くよくよしないで下さい。気分もいつかは晴れます。2、3日静養して下さい。気づいたことは、すぐに実行に移すようにしましょう。もたもたしていると、気が利かないと思われてしまうかもしれません。相手に思いを伝えたいと思っても、今日はすれ違いになりそうです。2、3日おいて、改めて挑戦しましょう。わがままで優柔不断、その上自分勝手で落ち着きがない、でもスタイルは抜群で超美形…といった人が恋人を誘惑するかもしれません。でも、すぐに行動に出ずにじっくり対策を練りましょう。何となく気が晴れないなら、幸運な色の小物を持ち歩いて下さい。 4/14 不用意な一言が、目上の人のプライドを傷つけることになりかねません。できるだけ相手を立てることを心がけて下さい。油絵、水彩など、何かを描く趣味を持ってみてはどうですか。高い評価が得られるでしょう。いろいろなことを熱く語る人に、心がときめきそうです。審美眼が狂いがちです。良いものを見極める目が完全に機能停止しているので、うっかり偽物をつかまされる恐れもあります。注意して下さい。何をやっても中途半端になってしまいそうです。やればやるほど混乱するので、手を広げないほうが良いかもしれません。持ち前の頑固な性格が周囲との軋轢を生みそうです。苦しい時期ですが今は耐えるしかなさそうです。セックスもいまいち気乗りしないでしょう。 4/15 いつもは明るいあなたも、今日はなぜか憂鬱な気分です。いつもの調子でふざけてくる友人を冷たくあしらって評判を落としそうです。財布の中に領収書がたまっていませんか。不要なものは整理してすっきりさせておきましょう。ポイントを貯めることに躍起になって、むやみやたらにカードを使うのは考えものです。計画的なお金の使い方を考えて下さい。私は自分の意見を強く主張する性格で、それは彼以外の人物に対しても同じだった。また、私には浪費という悪癖があった。衝動に負けて多額の買い物をしてしまうたびに、彼と激しい喧嘩を繰り返していた。私たちは金銭をめぐって頻繁に喧嘩をしていた。彼は倹約家であり、自分からは何も求めないその態度は、禁欲的といってもいいほどだった。これに対して私は、身だしなみに気を遣う女性であり、高価な生地、美しい洋服、毛皮のコートと贅沢な帽子を好んだ。買い物中毒である。喧嘩の仲直りがしたいと思っても、今日はうまくいかないでしょう。やることなすこと、裏目に出てしまいそうな日です。理想が高すぎては、出会いのきっかけを失うばかりか、仲間内で笑いものにされかねません。現実をよく見つめて下さい。 4/16 第一印象で誠実な人と思われるよう心がけて下さい。周囲の人に軽く見られてしまうと、遊び人しか近寄ってこなくなります。もっと自分に向いたものはないかと思っていても、進路を変えるのは早まらないで下さい。夢を見たら、忘れないうちにメモを残しておきましょう。正夢になる可能性もありそうです。自分の夢に、アルベルト・ヴェルティによるエッチング「ある月の夜」に通じるものがある、ということに気づく。このエッチングには、疾駆する数頭の馬が描かれた飾り縁が見られ、それらの馬の中には、交尾して「発情した馬」がいる。この絵には、よく知られているように、夫婦がベッドに寝ている場面も描かれている。この連想によって、全く思いがけず、夢の持つ性的ニュアンスに気づかされる。スイスの画家ヴェルティは、馬、騎手、そしてヴァリキュリヤを、印象的に、そしてしばしば、極めて悪魔的に描き出すことで有名である。夫婦が寝ているベッドの絵は静止した、死の雰囲気によって力を失っている。そこに生命力はなく、動きもない。月明かりの中に見える騎手も疲れ切っているようで、この乗馬がむなしく終わってしまうのを彼自身がわかっているように見える。首にかけた狩猟用の角笛は、出発に際して吹き鳴らすものだが、吹かれることなく背中のバンドに止められている。窓の外を通り過ぎているこの狩人は、吟遊詩人なのか。この絵の中を流れている時間は静止しているように思える。唯一認められるかすかな希望の象徴は、ベッドの隅に置かれた、花瓶に生けられ、一本の茎に二輪の花が咲いている、ドイツアヤメである。この絵の中で月明かりに照らされているのは、むしろそのような光にさらされないほうがよいもの、つまり、妻が若い男に向けている、婚姻外の性的関係への願望である。馬に表現されている活動性とセクシュアリティー、そして生命力は、分裂させられ、石化させられて、ベッドが置かれているバルコニー下の外壁にある飾り縁の中に、いわば追い払われている。 4/17 人の悪口を聞いても聞かなかったふりをして下さい。あなたの優しい面にひかれて、好意を寄せている異性が現れそうです。すぐにつきあうのではなく、まずは相手をよく観察しましょう。精神的に疲れていて寛ぎたいときは、香りの良いお茶やハーブを使った料理がよいでしょう。精神的な繋がりは、そのままセックスに影響します。好きな音楽やスポーツを一緒に楽しむことが2人の中を進展させてくれるでしょう。 4/18 急にひらめいた考えを実行に移すのに良い日です。でも、充分に検討しないと痛い目にあうかもしれません。おいしいものを食べたり、買い物をして気分を切り換えましょう。「この人と親密になれるかもしれない」という直感が働きそうです。かなり当たっているかもしれません。通信販売で欲しいものを見つけたら、友達にも声をかけて共同購入をしてはいかがでしょう。まとめて購入すると送料無料などの特典もあるのでお得です。あなたと付き合いたいという異性が現れるかもしれません。第一印象が悪くなければ、話をしてみるのも悪くないでしょう。ちょっと変わった感性を持つ面白い人に巡り会いそうです。新鮮な情報を提供してくれる人なので、一目置くことになりそうです。苦痛を伴う恋をしているなら、そろそろ清算する時期かもしれません。セックスの本当の歓びを味わうためにも、けじめをつける必要があるでしょう。 4/19 腐れ縁の異性に気をつけましょう。慌てず、落ち着いて作業をしましょう。焦ると、余計な仕事を増やすことになってしまいます。怪我にも注意が必要です。ひとつのことに夢中になると、集中しすぎて他のことがおろそかになりがちです。体調を崩しやすいので健康管理を怠らないで下さい。朝刊の折り込み広告でめぼしいものを見つけたら注文してみましょう。家族も購入に賛成しているなら損はありません。安くて趣味の悪いものが部屋にあると、気分が衰えます。思い切って捨てましょう。素敵だな、と思う相手を見つけたら、話の中で金銭感覚を調べて下さい。 4/20 勘が冴えわたり、アイデアがとめどなく溢れて仕事や勉強は絶好調でしょう。反対に私生活は停滞気味で、良いことが少なそうです。恋人に首ったけの人は、知的で冷静な自分を演じてみて下さい。惚れ直してくれるはずです。書店に行ったら節約を勧める雑誌の記事や書籍に目を通してみて下さい。普段気づかなかった家の中の無駄が見えてきそうです。良い案が浮かんでくることで、さらに忙しくなるでしょう。忙しくても礼儀はきっちりしましょう。周囲はあなたを見ています。 4/21 自制がきかない日です。バーゲンなどに行くと、あれもこれもと、その時の勢いで買い物をしてしまうかもしれません。気をつけて下さい。あらゆる面で判断力が低下しています。特に恋愛面ではことごとく判断を間違えてしまいそうですから、今日決断するのはやめましょう。大きな買い物をするときは、インターネットや雑誌などで評価や値段を確認してからにして下さい。不安定な精神状態でいると、周囲にとげとげしい雰囲気を作ってしまいそうです。八つ当たりするのはやめましょう。 4/22 直感が強すぎて、相手の嘘や言い訳を簡単に見抜いてしまいそうです。問い詰めると今後に支障が出るので、あえて知らないふりを決め込んで下さい。新規開店のお店を調べて、出かけてみて下さい。粗品や早い者勝ちの数量限定の景品をもらえそうです。社会生活には人付き合いが大切です。話しかけにくい人に、あなたから話しかけてみましょう。お互いの思い違いを解消することができます。彼女は―群衆の中に紛れ込んでいる、そんな人。そして私は―世捨て人。彼女は実利的な観点から人生を捉える。そして私は―理想主義者。 4/23 今日のデートでは気持ちが緩んで、予算を超えてしまうかもしれません。楽しい時間を過ごせれば、今日のところは良しとしましょう。新しい出会いが期待できそうですが、生活水準の違いに驚くかもしれません。感心するだけなら良いのですが、一緒に遊ぶためのお金も必要になるので注意して下さい。会社や学校では一目置かれる存在になるでしょう。謙虚な態度を続ければ、うれしい話も聞かれそうです。思いがけない収入があったら、評判のレストランで恋人とおいしい食事を楽しんで下さい。贅沢な時間が2人の関係を進展させてくれるでしょう。 4/24 誰かに助けてもらいたい。私ははっきり言ってそんな悪い人間じゃないのだが。しかし、他の人にはそう見える。私は自分が考えてもいないことを話してしまうことがよくあるから、冷たい人だと思われる。でも、誰かを助けたり、そうでなくとも、ちょっとした満足感を持ってもらえれば私はうれしい子どもたちに何かをあげたり、お菓子を患者さんたちに持っていくことは、私にはとても楽しいことだ。できるだけ節約するようにしているけれど、子供たちに何かをあげたりするのは、時々抑えきれなくやってしまう。 4/25 謝っても許してもらえず、親切にするとお節介と言われ、根性を出すと執念深いと嫌がられそうです。何をやってもうまくいかなそうなので、今日1日は家でおとなしくしたほうがよさそうです。用事はなるべく午前中に済ませ、夜は早めに寝ましょう。特典や割引情報を見逃して悔しい思いをしそうです。出かける前に、お店の情報をインターネットなどで調べておきましょう。今日出会った人は、現実的で計算高いでしょう。頼れる人ですが、恋愛対象としてはよくありません。一緒にいても気が休まることがなさそうです。今日は張り切りすぎると失敗しそうです。必要最小限のことだけをこなすようにして、失敗しないことを優先させましょう。小さな失敗を連発して気分が沈んだら、恋人と自然のあふれる公園で軽い運動をしましょう。良い気分転換になり、セックスも楽しくなります。 4/26 何をやってもうまくいかない日でしょう。無理をしても空回りするだけなので、周りの人にも迷惑をかけることになりそうです。誰かに助けを求めても解決はできません。冷静な判断を心がけましょう。同性の友達になぜか心がときめきます。自分の欲望に正直になると冒険的な恋が始まるかもしれません。良いものはやはり高価ですが、長く使えるものなら決断して買ってみてはどうですか。一度悪く考え出すと、どんどん気分が落ち込んで被害妄想気味になるので注意しましょう。 4/27 秘密の香り漂う異性との恋愛は避けたほうが無難です。傷のひとつやふたつ勲章だと言い切れるなら、形態番号を教えてもいいでしょう。おいしいと感じるミネラルウォーターを見つけたら、毎日1リットル以上は飲んでみて下さい。体調が改善されるかもしれません。今日は、宝くじなど買わないほうが良いでしょう。 4/28 積極的な姿勢が仕事仲間に伝わると、前向きな関係が築けそうです。でも、自慢するような態度はとってはいけません。朝食後のデザートには果物がおすすめです。生き生きとした肌は食事から作られます。有機栽培で作られた素材を中心に、ビタミン・ミネラルの豊富な食品を選んで食べましょう。今日は新しいことを始めたくなるでしょう。いつもと違う新しい服装や髪型でデートに出かけると、セックスでも激しく燃え上がれそうです。 4/29 日焼けサロンで、少しだけ肌を焼いてみてはいかがでしょうか。若々しく健康的に見えるはずです。衝動買いの誘惑にかられるかもしれません。そんな時は冷静に考え直して理性で抑えましょう。お金がないからといって、友達の誘いを断るのはやめましょう。他の部分を切り詰めればどうにかなるのであれば、気持ち良く応じて下さい。気分が優れないなら、血行が良くないからかもしれません。体を締め付けるような下着や服はやめましょう。 4/30 もう愛情が冷めてしまったと感じるなら、恋人との関係を清算しましょう。情に流されず、忽然とした態度で臨んで下さい。間取りも家賃も理想的な物件が見つかりそうです。太りやすい時期なので、常に自分の体重を把握しておくようにしましょう。土や自然に親しむと金運が上昇しそうです。不思議と気持ちが落ち着くので、ストレスからくる衝動買いにも歯止めがかかるでしょう。

※大山純平HP「擬人化した写真」連載中。毎週月曜更新。
There is a method in our madness. 〜我々の狂気には筋が通っている〜
澤田 育久 (写真家)
「音楽を聴き、終った後、それは空中に消えてしまい、二度と捕まえることはできない」 “ラスト・デイト”

写真は元来物質感の乏しいメディアですが、デジタルが加速度的に主流に置き換わっていくに従って写真の実在感は益々希薄になっていくように思います。フィルムと違い像が定着されたメディアも存在せず、プリントされることも前提とされない写真はもはや物質的な質量からも完全に自由な存在であり、データとして“在る”ことは理解されていますがデータ自体を実際に感じることは不可能な概念上のメディアに変容してしまった様に思います。それはあたかも“写真を撮る”という行為そのものが目的とされ、結果としての写真自体よりも撮影行為によってデータ化された事実が世界のどこかに記録されていれば我々は安心できるといった、その為の儀式のようであり、現実の存在の証拠を収集しストックする作業のようにも思われます。そのような中で写真をプリントするという行為は写真を“写真”として現前化するという確固たる意志によって行われるものであり、更にそれを展示するという行為はある種の認識のための手掛かりのようなものなのだと思います。展示された写真群は特定の時間と空間の中で見られる対象として存在し、その中で写真相互に干渉し合い空間自体にも変容をもたらしますが、期間の終了に伴って失われてしまいます。展示は時間的にも空間的にも限定的であるだけに写真の存在の確かさは一層際立ち、我々はその純粋な一回性に依拠した確固たる実在感と緊張感をもって写真を確からしめる為に依存症的に展示を繰り返しているのかもしれません。
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