The White Report 月刊 ウェブ・マガジン
The White Report 2014年 10月号  毎月20日更新

–目次–
写真作家の写真史 金村修 × タカザワケンジ   ・・・・・・・・・ タカザワ ケンジ
百葉箱 Screen #07   ・・・・・・・・・ 小松 浩子
超訳球根栽培法   ・・・・・・・・・ 金村 修
There is a method in our madness.
〜我々の狂気には筋が通っている〜
  ・・・・・・・・・ 澤田 育久
写真作家の写真史 金村修 × タカザワケンジ
タカザワ ケンジ (評論家)
 2012年に青山ブックセンター本店内の青山ブックスクールで行った写真史講座から一部を紹介する五回目。
 今回のテーマはアンリ・カルティエ=ブレッソン。一九〇八年生まれのフランスの写真家です。
 小型カメラ(ライカを愛用していました)によるスナップショットの美学を完成し、写真集『決定的瞬間』(英語版のタイトル)の代名詞ともなった。ロバート・キャパらとともに、写真家による写真家のエージェンシー「マグナム」を立ち上げたことでも知られている。
 ここではカルティエ=ブレッソンが一貫して追及してきたスナップショットの美学と、写真と芸術、ジャーナリズムとの関係について取り上げています。
第五回:「ライカの美学、フレーミングの快楽」アンリ・カルティエ=ブレッソン
◎「写真家」のイメージ・ソースの一人
タカザワ  アンリ・カルティエ=ブレッソン。あまりにも有名な写真家ですよね。スナップの名手。ライカの達人。写真を芸術にまで高めた写真家の一人。作品は古典中の古典です。
金 村 ブレッソンは「決定的瞬間」という言葉で語られることが多いんだけど、そもそも「決定的瞬間」という言葉が、フランス語版の写真集から英語版の写真集になるときに「誤訳」されたという話もあるし、僕自身は「決定的瞬間」が完成する前の初期作品のほうが好きなんですよね。ブレッソンって実はあまりちゃんと見たことなかったんだけど、「アーリー・ワークス」みたいな写真集があってそれを今回あらためて見て思ったのは、意外とモノを撮る人なんだなあということ。
タカザワ  デッサン用の石膏モデルみたいなものを撮ってるんですよね。美術室にあるような。
金 村 シュルレアリスムみたいなね。
タカザワ  そうかと思うと、ウォーカー・エヴァンスみたいな、看板をいっぱい入れて画面構成している写真もある。構図意識は最初からですね。もともと絵を描いていたそうですけど。
金 村 最後も写真をやめて絵を描いていたしね。ロバート・フランクみたいな写真もあるしね。何が写っているのかさっぱりわからない、みたいな。いまのストリートスナップ的な写真の構造とは違うんだなと思った。ふつう、写真の画面の構造って、撮りたいものがあって、その中心をもとに画面を構成するっていうことだけど。ブレッソンの場合はそういう構造じゃない。
タカザワ  アーリー・ワークスってことは、写真始めて四、五年。このなかにはすでに代表作になる作品もあるんですが、人間を生き生きと撮ったりしてないですよね。
金 村 そうですよね。人と人として撮ってない。ストリーススナップなのにね。
タカザワ  「生の輝き」とか撮ってない(笑)。
金 村 モノと人間が同化してるっていうかね。ブレッソンっていうとヒューマンなイメージだったから、意外だった。
タカザワ  カルティエ=ブレッソンはヒューマニズムの写真家なのか? という疑問が生まれますよね。ブレッソンは戦後、ロバート・キャパたちと立ち上げた写真家エージェンシー「マグナム」で仕事をしているから、そのイメージが強いんだと思います。思想的にも、二〇世紀前半のインテリ、芸術家、ジャーナリストの常で、社会主義的、進歩主義的だったから、ヒューマニズムの文脈で写真が発表された。彼らの写真が「ライフ」などのグラフ雑誌に掲載された。そのときの雑誌の編集方針がヒューマニズムだったということなんだと思います。ヒューマニズムという文脈で紹介されてきたから、そう思われている。でも、作品だけを追っていくと、本当? という疑問が浮かんできます。たとえば、ユージン・スミスのような写真家とはだいぶ違うんじゃないかと。
 伝記的なことを紹介すると、まず生まれたのが一九〇八年。同じ年に生まれた人を見ると、画家のバルデュスや写真家の小石清がいる。地方のお金持ちの家に生まれて、もともと絵を描いていた。十五歳くらいのときに、シュルレアリスムが流行り始めて、影響を受けています。絵の先生だったのが、キュピズムの画家のアンドレ・ロート。ちょっと素朴なタッチの絵で、そこにキュビズム的なものが入ってくる。画面をどう作るかを教わったんだと思います。
金 村 アンドレ・ロートの絵って、そんないい絵じゃないですね。
タカザワ  売れそうな(笑)。ポピュラリティがあるっていうか。ファッション誌のカットにいいかもしれない、というような。新思潮に対して敏感な画家だったんじゃないかと思います。
 その後、写真を始めるわけですけど、カルティエ=ブレッソンといえばライカ。
 ライカというのは35ミリフィルムを使う小型カメラですが、このカメラの登場が写真表現を大きく変えていきます。ライカが一般向けに発売されたのは一九二五年ですが、それまでは三脚をつけて使う大型カメラか、ローライフレックスのような中判カメラ。どちらも大きくて取り回しが悪い。小型カメラもありましたが、レンズがあまりよくなくて、シャープには写せなかった。そこへ、小型で、しかもレンズがよく、引き伸ばしてもピントがシャープというライカが出てきた。
 カルティエ=ブレッソンは一九三一年に、連動距離計がついたライカIIというカメラを使うようになり、本格的に写真を始めます。二十三か二十四歳の頃です。この年、彼は象牙海岸で暮らしています。
金 村 ほう(笑)。
タカザワ  シュルレアリストで写真家のマン・レイの写真を見て、写真で表現してみようと考えたそうです。
 カルティエ=ブレッソンといえば、ライカの達人、決定的瞬間をとらえた巨匠ということになっていますが、その傑作、名作の多くは初期作品なんですよね。年代を見ると戦後の作品よりも、戦前の作品に名作が多い。
 一九四六年、ニューヨーク近代美術館で個展をやっています。写真家としていち早く美術館で個展を開催した。写真作品を芸術品として美術館に展示した先駆者の一人です。
 戦後も一貫してスタイルは変わりませんが、グラフジャーナリストとして世界中、あちこち行っていて、メディアが求める写真を撮っていた。写真をたくさん印刷して世界にばらまく、グラフジャーナリズムの世界で超一流の存在になったわけです。
 美術館にも展示される一方、雑誌にも写真が載る。この両輪があったことで、写真家として独特な存在になったし、「写真家」のイメージの典型になったと思います。
◎「決定的瞬間」はいまどこに
金 村 構図の作り方なんかは変わりませんね、ずっと。
タカザワ  そうなんです。写真集はたくさん出ていますが、年代を混ぜていることが多い。でも、違和感がないんです。スタイルは終生変わらなかった。
 カルティエ=ブレッソンの写真の特徴は、一枚の写真ですべてを表現しようとするところ。「決定的瞬間」という言葉の元祖的存在として知られていますけど、金村さんが先ほど言っていたように、それは「誤訳」だった。「決定的瞬間」という言葉は最初の写真集のタイトルなんですが、それは英語版のタイトルで、オリジナルのフランス版では「Image a la Sauvette」。楠本亜紀さんは「逃げ去るイメージ」と訳し、今橋映子さんは「かすめ取られたイマージュ」と訳していますが、どちらも英語の「The Decisive Moment」とは違う。そして英語版のタイトルがこの写真家を世界に知らしめるキャッチ・フレーズにもなっていったわけです。
 「決定的瞬間」という言葉はとてもインパクトが強い。本人がどう思っていたかはわかりませんが、写真家とは「決定的瞬間」を追う者である、というイメージが一人歩きしています。
 そこでうかがいたいのですが、金村さんにとって「決定的瞬間」ってどんなものですか?
金 村 うーん。「決定的瞬間なんてないんだ」という教育を受けて写真をやっているから。現代写真っていうものが基本的にそうなんだけど。
 でも、当然、シャッターボタンを押す瞬間はあるわけですよ。ずっと押し続けているわけじゃないから。
 僕の場合はフレームですよね。フレームを見ていると思う。モノじゃないんですよね。よく教えていると「モノを見ろ」って学生なんかには言うけど。モノは見なきゃいけないんだけど。でも、シャッターを押すタイミングはフレームかな。だから、同じところで何カットも撮ったりするわけだし。
タカザワ  フレームってことは画面構成ってことですか?
金 村 そうですね。地面がどれくらい削れてるかとかですね。空が減ってきたと思ったらシャッターを切るとかね。本当は、ずーっと押していたいんですよね。
タカザワ  何かを選ぶっていうより、ずーっと。
金 村 そうそうそう。そういう意味じゃ、フレーミングは画面構成だから、そのフレーミングが自分にとって快楽みたいなところがあるから。自分が快楽だと思えるところでずっとシャッターボタンを押していたい。
 決定的瞬間というと一回だけの特権性という感じだけど、「決定的瞬間は無限にある」。
 撮っているときはぜんぶピークなんですよ。最初の数カット、勢いをつけるためにただ撮るってこともありますよ。でも、基本的にはすべてのカットが決定的瞬間といえば決定的瞬間なんでしょうね。
タカザワ  なるほど。カルティエ=ブレッソンの「決定的瞬間」も一般に言われている「決定的瞬間」と少し違っていて、フレーミング、決定的な構図を作ると、その構図が生まれた瞬間という二つの意味があると思うんですよね。
 もう少し説明すると、一般に言われている決定的瞬間は、何か特異なことが起こった瞬間を押さえること。その特異性がはっきりとわかるものだと思うんです。
 子どもが初めて立ったとか、事故が起こったその瞬間とかを写真に収めること。
 でも、カルティエ=ブレッソンの場合は、その瞬間が何か特異なことが起こっているというケースもあるけれど、実はそれは少数で、多数は特別なことは起こっていない。
 ただ、その構図が完璧なんです。
 おそらく構図が第一義で、瞬間はその後。何も起こらなくても完璧な構図ができていて、さらに何かが起こっていると、さらに完成度が増す、ということだったような気がしますね。だから、風景写真みたいなものもけっこう多いんです。
 でも、そこに何かが起きると、さらに写真の完成度が増す。
 いわゆる「ピーク」にシャッターを切る。写真の場合、撮る側がその一瞬を選ばなければならない。だとしたら、最高の瞬間でなければならないし、その最高の瞬間とは「画」が完成する瞬間だった、ということなんじゃないかと。
 だから、カルティエ=ブレッソンって人は、そのカメラの瞬間を切り取るという機能を引き出して、完成させた人だと思うんですよね。
 そして、それがスタンダードになった結果、以降の世代の写真家たちは「ピークを切り取る」というやり方を疑うようになった。
金 村 偶然と必然。その両方の要素がある人なんじゃないかと思いますね。
 ブレッソン自身も無意識を重要視していると思うんですよ。ストリートスナップって方法自体に無意識を取り込もうという意図があるわけだから。スタジオで撮影するってことを拒否して、外へ出ることで、自分では考えていなかったような風景に出会って、フレーミングして構図を決めることで、その偶然を必然にしていくというかね。
 でも、現代写真は必然を放棄しちゃうようなところがあるから。偶発性だけでいいやって。
 たとえば僕なんか、自分で言うのもなんだけど、フレーミングは厳密っていえば厳密なんですよ。でも入ってくる人物は偶然。傲然的な要素をどこかに残していくっていうのかな。
タカザワ  なるほど。写真の成立条件である「構図」と「瞬間」。「瞬間」は放棄してもいいんだ、と。構図がきちっとできていれば、どんな瞬間でも受け入れる。
金 村 そういうところはありますよね。フレーミングからはどうしても逃れられないところがあるから。
タカザワ  カルティエ=ブレッソンの写真はモダニズム写真だと言われています。何をもってモダニズムかって議論はあると思いますけど、少なくとも、人間が機械をコントロールして表現することができる。そうすることで表現の完成度がより高くなるということを信じていたと思う。その考え方がモダニズム的だなって僕は思いますけど。
 ライカを手にしたとき、このカメラを完璧にコントロールできれば、絵画をある意味で超えられる、と思ったんじゃないでしょうか。
 金村さんの言葉を借りれば、現実に起きている偶然を、カメラによって必然化することで美しい世界を作りあげる。しかし、そういう考え方に対して、もっと下の世代は反発を感じるというか、そこに限界を感じるというか。
金 村 いくら自分の意志でコントロールしようとしても、カメラがそれを裏切るところがあるから。
 カメラが人間の意識を裏切るっていうところがあるから、一九七十年代以降の現代アートの作家たちが写真を使い始めたんだろうし。
 ブレッソンはギリギリだと思うんですよね。人間が意志を持って撮れるんだっていう。
タカザワ  完璧すぎて陳腐だってことがあって、それはカルティエ=ブレッソンの写真のなかにも見られる現象なんですよね。
 エンターテインメントならそれでいいんです。フォト・ジャーナリズムの世界でも活躍していたから、そこでもスターだったのはわかりやすいし、美しい、楽しめる写真だから。陳腐っていうのは写真を見慣れてから思うことで、普通の人にとっては、そういう写真のほうが見る楽しみがある。
金 村 ジャストにモノが配置されている快感ってあるから。
タカザワ  写真を撮る楽しみもそこにありますよね。「よし! 決まった!」っていう。
 写真を撮り始めたばかりの人があこがれる対象として、カルティエ=ブレッソンの写真はいまも輝いていると思うんですよね。世界をコントロールできる。全知全能になったみたいな快楽がある。
金 村 気持ちがいいですよね。
タカザワ  でも、たくさん見てくると、だんだん飽きてくる。疑問を感じるようになってくる。
金 村 世の中、そううまくいくわけがない、とかね。
タカザワ  それはカルティエ=ブレッソンが写真家として成功して、その写真美学がスタンダードになったから。お手本にした写真がたくさん流通したから、それに対する疑いが出てきたわけです。
金 村 聞いた話なんですけど、ブレッソンってレオン・トロツキーと交流があったみたいなんですよね。トロツキーっていうと、ロシア革命のときの軍事革命委員会の委員長で、のちにスターリンに殺されるんですけど。
 シュルレアリストとも交流があったからその関係なんだろうけど、ようするに、共産主義はプロレタリア・アートっていう、人民の無意識の発見みたいなところがあるから。無意識の人たちが政治という意識された世界にどうやって浮上していくかという運動だから、通じるところがあるのかなと思いつつ。そういうこともあって、メキシコに行ったりしていたみたいですね。
タカザワ  なるほど。アメリカで写真集『決定的瞬間』が出るのが一九五二年なんですけど、ということは、そこに入っている写真はそれまでに撮られた写真。そして、いま、カルティエ=ブレッソンという名前から連想される名作写真の大半はそれまでに撮られた写真なんです。
金 村 そうなんですよね。
タカザワ  その後にも大量の写真を撮っているし、写真集も何冊も出ていますが、トータルで見た場合、キャリアの前半に名作が集中している。スタイルがその時点で決まっていて、あとは、撮る対象が変わっているだけで、基本的には同じスタイルなんですよね。
金 村 『決定的瞬間』は世界中の写真家にものすごく大きな影響を与えた写真集ですよね。名前は忘れましたけど、一九五十年代の日本の写真家で、撮影の時にこの写真集を持って外に出て撮っていた、という人の話を聞いたことがあるくらいだから。
タカザワ  かなり大きい写真集ですけどね(笑)。
金 村 いま聞くとすごいと思うんだけど(笑)。それくらい衝撃力があったということでしょうね。世界をこんなふうにまとめたい。世界って混沌としているわけだから。
タカザワ  しかもてのひらに載るような小さなカメラで。レンズも50ミリレンズで撮った写真がほとんど。
金 村 50ミリって面白いですよね。ロバート・フランクもメインは50ミリだったし。ちょっと撮りづらいじゃないですか。
タカザワ  いわゆる「標準レンズ」ですよね。人間の見た目に近いとも言われますけど、両目で見ている感覚と比べるとちょっと狭い。スナップショットは広角レンズを使う人が多くて、標準レンズは実は少数派かも。でもカルティエ=ブレッソンの写真にはそういう窮屈さは感じないんですよね。
金 村 50ミリでしか構図が作れなかったのかも知れない。
タカザワ  そうかもしれないですね。望遠とか広角という選択肢があるということは、そのたびに選択しなければならないわけで、構図を考えることに集中しづらいかも。レンズが同じだから作品として揃っていたのかも知れないし。
 それに、その後の写真家、プレス・カメラマンと言われるフォト・ジャーナリストたちの撮影テクニックは飛躍的に発展したともいえますよね。機材の発展と軌を一にして。
金 村 そうでしょうね。18ミリとか超広角から300ミリくらいの望遠レンズまで自由自在に使いこなせるのが商業写真家の基本っていうのかな。僕は使えないけど。
タカザワ  なんでも撮れる、っていうのが職業写真家の条件の一つですからね。そこは「写真作家」とは違います。
◎写真を芸術にするために
タカザワ  カルティエ=ブレッソンとほかの写真家の比較なんですけど、たとえばウジューヌ・アッジェ。カルティエ=ブレッソンの前の世代のパリの写真家ですけど、アッジェの写真は完璧な構図の写真とはいえないですよね。いろんなものが映り込んだり、三脚立ててるのに平行が取れていなかったり。
金 村 ゆるい。
タカザワ  その代わり、生々しさがある。
金 村 ブレッソンはフレームのなかで完結している。アッジェの写真にはノイズがあるんです。そのノイズを肯定するってことが七十年代以降の現代写真だと思うんですよね。
タカザワ  アッジェは自分が芸術家だという認識はなかった。あるいは芸術家だという認識を表明しなかった。アッジェの写真をいち早く評価したマン・レイが雑誌にアッジェの写真家を掲載するときも、掲載自体はかまわないが、芸術家だと紹介されたくないと言ったという逸話があるくらいで。
 一方、カルティエ=ブレッソンは、アッジェよりも世代が下で、カメラもアッジェは三脚に大型のカメラをつけてガラス乾板という当時でも時代遅れの機材なのに対し、最新の小型カメラに35ミリフィルムを入れて手持ちで、とスタイルも対照的。写真を芸術的な高みに持っていこうとした写真家の一人だと思うんですよ。
金 村 写真が発明されたとき、フランスのドラローシュという画家が「今日を限りに絵画は死んだ」と言ったという有名な言葉がありますけど、新しい芸術としての側面があったわけですよね、写真には。
タカザワ  アッジェとカルティエ=ブレッソンをつなぐ存在とも言えるのがマン・レイ。シュルレアリストであり、彫刻や絵画をものした現代美術家であり、写真もよくして、ファッション写真の黎明期のスターでもあったという多才な人ですけど、写真家という職業を考えたときに、メディアに写真を流通させるということを始めた、わりと最初のほうの人です。
 それまでは写真館で肖像写真を撮るか、展覧会で絵画的な写真を売るかしかなかった。そこに、写真を雑誌に載せることでお金が得られるという第三の道が見つかった。
 マン・レイは本当は芸術で食べていきたかった。だから、ファッション写真家として名声を得たことに対しては複雑な思いがあったようです。写真家と呼ばれることに抵抗があったとも。しかし、僕らが「フォトグラム」と呼んでいる暗室の中でイメージを作り出すことを「レイヨグラム」と呼んで作品として発表したり、写真を使った芸術作品へのチャレンジもたびたび行っている。だからこそ、アッジェの写真に新鮮さを感じたんだと思います。
 マン・レイは芸術家であり、写真でお金を稼ぐこともできた。ロール・モデルとして、新しい芸術家像に見えたんじゃないですかね。そこでスナップショットを芸術の域にまで高めるためにはどうすればいいかを絵画の伝統を踏まえつつ、写真ならではの新しい表現方法として活用したことだと思います。
金 村 スナップショットは芸術の世界でもまったく新しい方法だったと思いますよ。何も考えずに作品ができる。絵画ではそうはいかないから。
タカザワ  カルティエ=ブレッソンの作品が芸術としての高い評価を受けたのは、一九四六年のニューヨーク近代美術館での個展なんですが、このときにちょっとした逸話があるんですよね。戦争中にドイツ軍につかまって捕虜になるんですが、二度脱走を試みて失敗。三度目で成功し、その後、対独レジスタンスに加わります。ニューヨークでは戦死したと伝えられていて、展覧会は死後の回顧展になるはずだった。そのレセプション・パーティに、本人が登場し、来客者が驚いた……という。そんなところも、スター写真家として語られてきた理由の一つなんでしょうね。
◎デュシャン、マン・レイとカルティエ=ブレッソン
タカザワ  カルティエ=ブレッソンはスナップショットを芸術にまで高めた、と言いましたけど、その手法はのちの写真家たちにも受け継がれていきます。
金 村 スナップはすごく無意識にやっていることだから。それが芸術かどうか。「つくる」ってことで考えると、スナップは芸術でもなんでもないんですよね。カメラも、フィルムも自分で作っているわけじゃないし、やっていることはシャッターボタンを押しているだけだから。
 じゃあ、つくる、とは別のところで芸術は成立するのか。芸術の概念を拡張していくっていうのかな。どこまで芸術なのか。スナップショットは既存の芸術という枠組みに対して批判的になれるっていうのかな。
タカザワ  そうなんですよね。初個展は、母国のフランスではなくて、ニューヨークのジュリアン・レヴィ・ギャラリーと、マドリードに巡回しています。最初から国際的な広がりがあった。しかも、ジュリアン・レヴィ・ギャラリーはどういうギャラリーだったかというと、マルセル・デュシャンなんかをあつかっていた、当時最先端の現代美術ギャラリーなんです。
金 村 そうですよね。デュシャンとかとつながっているんですよね。
タカザワ  デュシャンはマン・レイの同志だから。でも、彼らが美術史のなかに大書される存在として認められるようになるのはもっと後ですよね。
金 村 そういう意味ではデュシャン、マン・レイとの関係性のなかでブレッソンを語るという可能性はあるわけですよね。
 中平(卓馬)さんの写真も、写真のなかに「もの派」のリー・ウーファンの作品とか、リー・ウーファン本人が写っていて、両者の交流があったことを踏まえて中平さんの写真を見ると、また違った側面が見えてきたりするとかね。そういうことはありますよね。
タカザワ  カルティエ=ブレッソンは、写真を芸術という領域に一度は組み込んだ。スナップショットで。美術館に飾られるクォリティを写真で実現した。それも小型カメラで、手持ち撮影で。その後はフォト・ジャーナリストとして、スナップショットの美学を普及させた。でも、シュルレアリスムとか現代美術との関わりから考えると、新しい芸術家像でもあるわけですよね。
 一方で、雑誌の依頼で世界のあちこちへ行って取材し、撮影するという仕事をしてきた顔もあって、中国の写真がとくに有名です。
 ロバート・キャパらとともに写真家エージェンシー「マグナム」を立ち上げたことでも知られていますが、なぜ、エージェンシーが必要だったのか。当時は写真家の社会的地位が低く、権利もまだまだ認められていなかった。通信社や雑誌社に送った写真を勝手にトリミングされたり、キャプションを書き換えられたりしていた。そこで、写真家自身によるエージェンシーをつくり、写真家の権利を認めさせようということで「マグナム」を作ったわけです。
 晩年は写真をやめて絵を描くことに専念しましたが、その絵にはあまり触れる人はいないですよね(笑)。
金 村 あんまり面白くないですよね(笑)。
タカザワ  でも、面白いことに、絵は絵でもスケッチ。
金 村 スナップ的な方法でやっているんですよね。
タカザワ  さっと見て、パッと書く、という方法は写真をやっていた時代から変わらなかった。
金 村 だったら写真をやってればいいじゃん、と思うんだけど(笑)。
百葉箱 Screen #07
小松 浩子 (写真家)
文部科学省の小学校学習指導要領に於いて第1学年及び第2学年の生活科に関して「生き物への親しみをもち、大切にすることができるようにする」との記載があり、担任教師により夏期休暇中の飼育動物の世話が命じられる。小屋は三畳程の広さで内部が二分されており、一方で鶏の雄7羽が、もう一方でチャボの雄1羽と雌2羽が飼育されている。鶏は肉と卵を食用に羽を衣服や寝具に利用するため世界中で飼育されている家禽で、飼育に際して通常は同種のもので雄1羽に対して雌が2~3羽必要であり、この比率を保つことで雄は穏やかに生活できるという。清掃と給餌の為に飼育小屋内に入る際、比率が保たれているチャボは問題ないが、比率が保たれていない鶏は激しく攻撃を仕掛けるため児童の力では小屋の清潔を保つ事が困難となる。昭和期に縁日等での販売商品として開発された愛玩用の「カラーひよこ」は養鶏場で人工孵化させた雛のうち雄に赤・青・緑・ピンク等の着色を施したものを指す。採卵用の鶏は食肉用のブロイラー等と比較して味に劣るため産卵出来ない雄の雛は用途に恵まれなかったというが、「カラーひよこ」という商品として経済活動の一端を担うようになる。水で薄めた繊維用の染料を容器にいれ雛を漬けるか雛に直接スプレーで吹き掛けてから強力な熱風によって乾燥させる事で着色する。加工・販売環境が劣悪なため通常は購入後間もなく死亡するが稀に順調に育成する場合もあり1ヶ月程で着色された羽毛は抜け落ち本来の鶏の色に戻る。近年では着色も効率化され卵の中に注射器を使って過酸化水素・アンモニア・食品着色料等を入れることにより成長過程で体内に取り込ませ、卵からふ化した時には着色が為されているという方法が採られている。飼育小屋に於ける雄の鶏の過密は「カラーひよこ」の生き残りが愛玩動物として家庭での飼育に適さないとして学校に寄贈されたためと推測される。学校教育課程に於ける動物飼育の意義・目的として、児童・生徒の1.生命観(動物飼育から学ぶ生命尊重の心)、2.動物観(動物の生理・生態、社会・経済活動と動物利用の関係)、3.社会観(動物愛護・福祉、食育・食農)、4.自然観(人と動物の共生、自然環境保全)、5.人格形成(感性、社会性、協調性、責任感、自発性、判断力等)等があげられ、学校・家庭を問わず動物飼育は児童・生徒の「心の健康の確保」に於いても有効とされているが、それに伴う「矛盾」については言及がない。
超訳球根栽培法
金村 修 (写真家)
1981年から89年ぐらいまで毎週土曜日深夜テレビ朝日で放送していた小林克也司会の『ベストヒットUSA』は、マイケル・ジャクソンやマドンナ、シンディ・ローパー、カルチャー・クラブ、バグルス等々のアメリカの最新のMTVを紹介していた。MTV 的なものは60年代からビートルズの『マジカル・ミステリー・ツアー』を筆頭に色々とあったが、ミュージシャンの演奏だけでなく、音楽にストーリー性を強調した映像をプラスするところがMTVの新しいところだった。従来のプロモーションビデオが、ミュージシャンが唄って踊っているところしか写していないのに対して、例えばマイケル・ジャクソンのビデオは音楽ビデオというよりもショートムービーのようであり、特殊メイクを本格的に活用したホラー風の起承転結のあるストーリーだったり、カルチャー・クラブは金ラメの衣装を着たボーイ・ジョージが踊りながら船に乗ってゆっくりと川を下っていると乗船中のスリが乗客に甲板から海にたたき落とされたり、船員達がダンサーのように踊っていたり、黒人と白人が仲良く唄って騒いでいたりしているファンタジーの風味をプラスした映像だった。そこではミュージシャンの演奏や音楽が主なのではなく、演奏や音楽も映像を構成する中での一つのパーツでしかない。そんなMTVの映像の数々を見ると、音楽はもうそれ自体自立できなくなったのであり、映像かそれ以外の何かがプラスされていなければ、音楽は消費対象になることもできなくなってしまったのだろう。デレク・ジャーマンの作ったスミスの映像の方が彼らの音楽よりも面白かったし、90年代に作られた『ピロウ&プレイヤー』も映像の方が音楽よりもその情感を上手く表現できていた。音楽が単体だけで消費されていく時代が終わったのだ。映像と音楽が自堕落にもたれ合い、音楽は映像の後で邪魔にならない程度に流れていればいい。MTVやエレベーター・ミュージックにフュージョンがその典型だろう。ブライアン・イーノの提唱したアンビエント・ミュージックが自分達を囲んでいる環境を意識させるための異化効果を狙った音楽だったのに対して、MTVやフュージョンはその正反対で、環境に溶け込み、環境をより美しく感じさせるための小道具、ブルジョワのための“家具の音楽”に音楽を変質させる。音楽と映像と環境の自堕落な野合。
ゴダールの『彼女について私が知っている二、三の事柄』で、映像と言葉は互いに自堕落に寄り添い合い、そのもたれ合っている姿はまるで漫画のようだと言っていた。『彼女について私が知っている二、三の事柄』では、言葉と音楽と映像は同期せず、音と楽音の区別は曖昧になり、映像と音が互いに補足関係を結ぶことを拒絶し、噛み合わないこと、ばらばらであることが肯定される。ベートーベンの弦楽四重奏曲第十六番と工事現場での重機の出す音の区別がつかず、音楽がまるで騒音のように聴こえ、工事現場の騒音の方が妙にリズミカルに、16ビート的な感覚で聴こえてくる。それに比べるとクロード・ルルーシュの『愛と哀しみのボレロ』のジョルジュ・ドンの踊りに被さる大音量のボレロは、互いが互いを補足し合い、盛り立て合いながらラストのクライマックスに向けて高揚する。『愛と哀しみのボレロ』の映像と音楽の関係は、MTVのように映像と音楽の醜悪なもたれ合いを強調していた。
マーティン・スコセッシがその意味もなく盛り上がればいいという白痴的で自堕落な『愛と哀しみのボレロ』や、それに連なるMTV的な音楽の使用法を、90年代の彼の映画『カジノ』で意識的に選択するだろう。ロネッツやマディ・ウォーターズの音楽を背景にカジノのオーナーとしてひたすらfuckと怒鳴り、女性を口説き続けるロバート・デ・ニーロはまるでデ・ニーロの悪いコピーのようだった。『タクシードライバー』から脈々と受け継がれていた自身のマッチョ性が、背景に流れるMTV的な音楽の使用法で彼のマッチョ性を醜悪な喜劇に変える。後にソニマージュと自ら名付けるゴダールの『彼女について私が知っている二、三の事柄』の音の使用法は今見てもただかっこいいとしか言えないのに対して、スコセッシの『カジノ』のポップな映像と音楽が緊張感もなくもたれかかり合いながら盛り上がる様は、時代遅れのMTVを見ているようでうんざりする荒廃感を感じさせる。高揚する必要もないのに常に高揚し、いつもはしゃいでいるか怒鳴っているかという極端な感情しか表現できないデ・ニーロやジョー・ペシは、自己についての価値判断を外部の視点に置いているために、外部に向けてつねにその存在を凶暴な形で見せつけていなければならない(世間から見ていい女だと思われる女性をはべらせ、羽振りがいいように思われたいために高額のチップを渡し、強い男と思われたいためにすぐに拳銃で威嚇する)。それは所属する共同体(マフィア)に承認されたいために、頭の切れる存在だと思われたい、誰よりも飛び抜けている存在だと思われたい欲望として最終的には自己をマッチョな存在として外部に向けて打ち出していくだろう。アルコールやコカインに血糖値を上げ続けるステーキやケーキは彼らにとって手放せないものになる。コカインとアルコールでつねに自分を鼓舞していなければならないデ・ニーロやジョー・ペシの背景にマディ・ウォーターズの『フーチ・クーチ・マン』がかかり続ける。“俺は絶倫 一晩中だってかまわない なぜなら俺はフーチ・クーチ・マンだから”を選択したスコセッシが彼らの意味のないマッチョな高揚を嘲笑う。『カジノ』はデ・ニーロやジョー・ペシのマッチョ性の行き着く先は、無残で何もない荒野だということを教えてくれるだろう。金と女以外に何もいらないという態度は、最終的に金も女もうんざりした存在で、こんなものに命を張っていたという馬鹿らしさに気付きながらも、それ以外の生き方が見つからずに退屈な人生を生きなくてはいけないという煉獄的な『カジノ』の世界は、ベケットの『勝負の終わり』の“終わりだ。もう終わった。終わろうとしている。きっと終わる。”のように終わることへの希望は打ち砕かれ、彼らは永遠に『カジノ』の世界を生きなければならない。
MTV的な音楽の使用が想起させるのは、楽しまなくてはいけない、高揚していなくてはいけないという強迫神経症的な切迫感だ。世界はアミューズメントパークであり、そこに住むわたし達はつねに楽しんでいなければならないというアミューズメント・ファシズム。そのためにはコカインをやり、愛してもくれない女のために何百着の洋服や宝石を買い与え、平和共存していた縄張りを無理矢理奪い取り、最後はバットで撲殺されてトウモロコシ畑に埋められても構わない。365日24時間楽しんでなければいけないアミューズメントパークの行き着いた荒廃感を『カジノ』は表出する。  デ・ニーロの自意識過剰な喋り方や、ジョー・ペシのお約束のような切れ方は、型通りの演技がどうのこうのと言うより、型通りに演技をやればやるほど不確定な殺伐性が滲み出てくる。『タクシードライバー』でのデ・ニーロが女性をデートに誘うけれど彼女と食事に行くのではなくポルノ映画館に行くという侮蔑的な態度や、娼婦のひもを撃ち殺す時のためらいもなく引き金を弾く(それも娼婦を助けてあげたいというヒューマニズムではない)、無慈悲で気まぐれで不確定な殺戮に何の意味をつけられるだろうか。ゴダールと違って映画のことなど何一つ考えてなく、物語の経済的効率しか考えてないスコセッシの行き着くところがこんな荒野のような殺伐とした世界だったのはどういうことなのだろう。
スコセッシの『ウルフ・オブ・ウォールストリート』での記号のようなショットの連続。意味がわかればいいでしょうとでも言いたげな説明的なショット。映像はもともと対象を指示表出するための記号であり、再現や説明は映像の本来的な属性なのだということを肯定するかのように繰り返す。多少意識的な映画監督なら映像は再現や説明のためだけではない的なショットを撮るのに対して、スコセッシは徹頭徹尾説明に徹していて、まるでMTVを見ているような効率の良さだ。
スコセッシの説明的な映像は現実ではなく言葉や観念と一致している。ディカプリオが『ウルフ・オブ・ウォールストリート』の中で500回以上使用するfuckという台詞は、fuckすべきまたはfuckな現実を映像が表出するわけでも再現するわけでもなく、fuckという観念(うんざりする、みんな死んでしまえ、すべてを破壊したい)に映像が結びつくため、ディカプリオの喋りまくるfuckは何かに向けてのfuckではなく、fuckのためのfuck、現実に通底しないfuck、fuckの残滓、それはfuckの亡霊であり、ディカプリオは現実の世界にではなく、fuckに向かってひたすらfuckと怒鳴り続ける。映像が現実の対象とのつながりを断ったら、その映像は空虚なものでしかないのだ。対象と一体化してはじめて映像が生命を持つなら、スコセッシの映像は現実とのつながりを断ち、言葉や観念と一致する方向を選択したために、その映像には生命がない。彼の映像は記号の廃墟であり、その生命のないもの達の集積が映像の中で噎せ返り息もできない。
現実を力強く罵倒するためのfuckではなく、記号の廃墟としてのfuck。ディカプリオは一体誰に向かってその罵詈雑言を吐いているのだろう。彼は本当に腹が立ってfuckを連発しているのだろうか。fuckの亡霊に取り憑かれたディカプリオはただ観念的な存在であり、現実の具体性に基づいた罵倒は歯止めがきくのに対して、観念に取り憑かれた罵倒は留まることをしらない。観念はディカプリオをさらに泥沼のfuckに連れて行くだろう。
自家用クルーザーに乗った水着姿の美女に、ロブスターを筆頭にした豪華な食べ物の数々。金を無限に吐き出すように見えるきらきらしたスロットマシンにポーカーやブラックジャックを司るタキシードを着たディーラー達が札を操る姿は魔法の国の人達のようであり、ファンタジーの裏側では大量のドル札が一枚一枚丁重に数えられてバックの中に仕舞われる。ファンタジーとセックスとドル札というアメリカ的な価値観がうんざりする程強調される。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のところ構わず始められる売春婦相手のセックスに部屋中に溢れるドル札の姿や、『カジノ』のぎらぎらするラスベガスの看板の光景それらを3時間以上にもわたって見ていると豪華性を強調すればするほどそこにはどうしょうもない荒廃感が浮かんでくる。彼らのセックスのためのセックスはただ腰を振っている運動にしか見えず、金稼ぎのための金稼ぎはまるで紙のおもちゃを手にして喜んでいる子供のようだ。何もない張りぼてのようなセックスと所詮紙でしかない現金に何の意味もない。『カジノ』や『グッドフェローズ』ではその意味のない張りぼての現実に、デ・ニーロやジョー・ペシは命を賭けるだろう。コカインのワンショットと自分の命は彼らにとって同じ値段なのだ。命なんてコカインやドルにくれてやる、そんな荒廃感が『ウルフ・オブ・ウォールストリート』や『カジノ』の通低音として全編に流れ続ける。ポーカーにブラックジャックにスロットマシンに無意味に美しいブロンド美女とシャンパンを片手に会話する。“生きているのは暇つぶし”という深沢七郎的な台詞が似合うように、生きている時間を無駄に潰しているだけにしか見えない。
ゴダールのぎくしゃくした映像が暴力的であり混沌であるなら、スコセッシの自堕落な映像は暴力や混沌ではなく見たくもない幻滅や腐敗を指向するだろう。ゴダールと違いスコセッシの映像はただ時間をやり過ごしているだけだ。人生を死ぬまでの暇つぶしの時間と考えるスコセッシは、三池崇史の『WARU』での真樹日佐夫のスローモーションかと思わせる程の緩慢なアクションや、『キラー・エリート』のニンジャ軍団との対決をスローモーションで撮ったペキンパーのような腐臭すら感じる。真樹日佐夫のアクションやニンジャ軍団のスローモーションでの決闘は弛緩した荒野のようだ。ゆっくりと引き延ばされる喜劇としての屠殺。マコ岩松に刺殺される忍者達や、“お母さんを大切にな”という通俗的でシリアスな台詞を子供に言いたいがために死んでいく以外、何のために死ぬのか分からない真樹日佐夫が喜劇に見えてしまう残酷さ。笑い者にされるために殺されていくのだろうか。スローモーションで引き延ばされた時間は決定的で特権的な死の瞬間をいつまでも引き延ばしたいのではなく、無意味にだらだらとしたまま死にたい。暇つぶしみたいに弛緩したまま死にたい。弛緩した真樹日佐夫とニンジャ達のアクションは死ぬまでの時間を大切にするのではなく、どういう風にしてこの引き延ばされた時間を潰すか、どうやったらこのスローモーションの退屈で暇な時間やりすごせるのか。“わたしは自分の臨終をだいなしにしてしまうだろう”というベケットのように彼らの死は喜劇的であり、まるで暇つぶしのために死んでいく。
『カジノ』の手際よく変わるショットがそのやり過ごし方を丁重に撮影する。デ・ニーロもジョー・ペシもコカインを吸っていつも高揚しているのは、短いその時間を有意義に生きたいのではない。本気で金が欲しい訳でも女が欲しい訳でもない。かけがえのない人生をいかに適当に潰すのか、彼らはそれを犬の糞のように扱うだろう。彼らの投げやりな態度がスコセッシの映画の通低音を司る腐臭感と共通する。スコセッシの映画の主人公はある意味みんな投げやりだ。成功することよりも自滅する方向を選ぼうとする。『グッドフェローズ』で、“カスばかりの街でデカイ顔ができる”、“毎日地下鉄で通う奴らはクソ喰らえ”とまともな人生に後ろ足で砂をかけるような態度に、真面目に生きることにはもううんざりといった生に対するあからさまな軽蔑心を告白する。スコセッシの徹頭徹尾な紋切り型の投げやり感は、ジャック・リゴーの“生きる理由などありはしない、かといって死ぬ理由もない。我々に残された、人生に対して軽蔑を表す方法はただ一つ、そいつを受け入れることだ。人生などわざわざ捨てるにも値しない”という風にゴミのように自分の人生を扱う。映画はもう『キラー・エリート』や『WARU』のようにゴミやクズが出ているだけでいい。紋切り型のクズ達が画面でうろつき回るだけで映画は充分に面白いのだ。粛清されたギャング達の死体をバックにデレク&ドミノスの『いとしのレイラ』の後半部のピアノ演奏を被せるスコセッシのMTV的な使用は、紋切り型で通俗的なクズのように繰り返されるショットが、見ている人間に快感を与えることを教えてくれる。アメリカ社会どころか彼は映画そのものもゴミのように扱うだろう。
70年代後半の音楽シーンはまるで工場で大量生産されたかのようなクズな音楽が主流だった。NHK-FMの『クロスオーバー11』から流れるフュージョン、例えばジョージ・ベンソンの『メローなロスの週末』は、まるでコンデンスミルクかココナッツミルクの中に沈み込んで行くみたいでただただ心地がいい。高度なテクニックとアレンジで作られた彼の音楽は、お菓子の家の中でスィーツを食べ続け惰眠を貪るだけの、そんな堕落した気分になれる。日溜まりの中でいつまでも寝そべっている動物になった気分であり、ポスト・モダン以降の歴史の終末としての“動物の世界”が彼の音楽の中にすでに実現されていた。
『メローなロスの週末』は毎日が“人生の日曜日”であり、永遠と日曜日が続く、日曜日しかない人生を生きるためのBGMだ。明日も明後日も日曜日しか来ないなら、週末を楽しく過ごすためのアルコールやおもいっきりはめを外し、ストレスを発散するためのドラッグは必要がない。アルコールやドラッグはウイークデイから週末に向けて頭や肉体を切り替えるために存在するものであり、毎日が日曜日の惰眠に慣れた肉体と頭にとって必要なものははめを外したパーティーではなく、土中に一人で潜り込んだモグラが黙々とミミズを食べ続けるように、砂糖まみれのスイーツを永遠に食べ続けることが要求される。脳を砂糖と乳製品と卵で溶かし続けるのだ。コカインで心臓を激しく鼓動させることも、アルコールや鎮痛剤でリラックスする必要もない。いつまでも惰眠に肉体を馴らしていることが重要なのだ。眠るのではなく、半覚醒のままバスローブを着ていつまでもずるずるとベッドかカウチの上でぼんやりとしながら人生をやり過ごすためには、アルコールやドラッグよりも大量のスィーツが必要だ。
ポール・アンカやニール・セダカに代表される50年代ポップスには同じスィーツでもまだケミカルで毒々しい駄菓子屋的なB級感があったのに対して、フュージョンは一流のお菓子職人の手で作られた非のうちどころも無い完璧なスィーツであり、50年代ポップスが無意識的にもっていたホワイトトラッシュのプロレタリア的な階級意識が見事に洗い落とされている。
あるジャンルやあるグループの音楽を聴くと公言することは自らの階級や態度を表明することであり、そこでは音楽は聴いている人の階層や教養を表す記号だった。“波を蹴る音がニューヨークの連中にも聞こえてきそうだぜ”と唄うビーチ・ボーイズを好きだと言うことは、毎日を享楽的に過ごし、何も考えていない馬鹿のままで人生が終わっても結構だという意志の表明であり、“俺の青いスェードの靴を踏むな”と唄ったエルビスの音楽は本物のプロレタリアートか、プロレタリアートのもつ荒々しさに憧れる白人中産階級の音楽だった。それがフュージョン以降の音楽はそんな階級的な記号としての機能を放棄して、世界はまるで階級という境界線がなくなったかのように振る舞い始める。土方と呼ばれていたものは建設労働者に、手配師はリクルートになり、賃金奴隷はサラリーマンと呼ばれるようになり、階級は消滅してみんな市民と呼ばれる存在になった世界で、音楽はもう何も表象しなくなった。テレビでは空間プロデューサーと呼ばれる人物が、うちっぱなしの部屋でボズ・スギャックスやジョージ・ベンソンをかけるように薦めていた時代に、音楽はからっぽの部屋の空間を埋めるために使用されるおしゃれな家具のようなものに変質した。要するにそれは暇つぶし以外の何ものでもなく、まるで集中治療室で死ぬのを待つ、その決定的な時間がくるのを横になってテレビを見て待っている、無為な時間つぶしのようものに音楽は変質したのだ。MTVやフュージョンは集中治療室でのテレビのように、見ている人間に何の感慨も与えない。いずれ音楽は死んでいく人間の最後の短い時間をつぶすための、暇つぶしのようなものになるだろう。決まり文句から成り立っている挨拶や予定調和な会話で死ぬまでの時間をつぶす。どうでもいいクズみたいな病室の会話に音楽が近づいていく。
集中治療室の音楽。最後の時間つぶしのためのその空間に似合うBGMは、MTVから流れる最新流行の音楽かフュージョンだろう。“無力な老人というものは、最後まで、世話されるものだ。老人がものをのみこむことができなくなったときでも、上から食道へ、あるいは下から直腸へ、管をぶちこんで、ビタミン入りのパン粥を注ぎこんでやる、人殺しの非難を受けてはまずいというわけだ”(ベケット)。治る見込みもないのに生きなければならない、わずか数時間か数日の時間をつぶすために生きさせられる猶予された暫定的な生。この台無しにされた臨終に似合う音楽こそジョージ・ベンソンの『メローなロスの週末』だろう。それが聴こえてくれば何もかもを台無しにして幻滅させ、うんざりとさせるカスで空虚でゴミみたいな『メローなロスの週末』は、人間の特権的な最後の姿を集中治療室でのチューブだらけの穴の空いた肉体のような気味の悪いジョークに変えてしまう。
音楽は誰の耳にも障ることの無い、心地の良い鼓膜の振動、要するに耳掻き程度の活用にまでその使用価値を自ら下げていった。何の活用もできない音楽。打ちっぱなしのカフェ・バーの片隅にダーツと同じようにおしゃれな小道具として流され続けるMTV 。80年代の音楽は自らの価値を下落させることに熱中していたのかもしれない。音楽は何の役にも立たないという空虚感は、30年後に映画『スプリング・ブレイカーズ』のMTV的な音楽の使用法でその空虚感を暴力にまで変質させる。カスで空虚でクズみたいに退屈でつまらない音楽は、その本質に凶暴な何かを抱えていることを『スプリング・ブレイカーズ』は証明した。
MTVはカスな音楽の方が、相性がいいのではないだろうか。カルチャー・クラブやヒューイ・ルイスは当時からカスであり、それが映像のカス具合と妙にマッチする。マーティン・スコセッシの『ギャンブル』や『グッドフェローズ』の音楽の使い方を聴いていると、50年代から60年代のヒット曲をショット毎にめまぐるしく使うことで、ヒット音楽が持っている根源的なカス性、ジャンク性を露にする(ポップ・ミュージックはきちんとステレオの前に対峙して聴くものでも、ちゃんとしたオーディオ・システムで聴くものでもないだろう。車のカーステレオから適当に流れてくるぐらいが丁度良い、いい加減な音楽なのだ)。50年代から60年代のヒット曲はキャンディ・ポップ、バブルガム・ミュージックという俗称で呼ばれていて、それはお菓子と同じように末端神経を刺激する嗜好品であり、肉体の本能的欲求とは切り離された栄養にも何にもならないジャンクという意味なのだろう。ポップ・ミュージックはキャンディやチューインガムと同じで、目的の無い食欲を満たすためであり、食べるために食べる無為な反復の肯定としてのポップ・ミュージックは、肉体の形成のための食事ではなく無意味に口を動かし続けるための、ライナスがくわえている毛布のように情緒不安定な子供が依存する腐れ縁のための音楽であり、口唇期を無限に反復するための音楽なのだ。
フュージョンが歌詞を必要としないことに対して60年代ポップスは歌詞を必要とする。ほとんど何も言っていないような歌詞がポップスにとっては重要なのだ。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』でのディカプリオが社内の朝礼で論理的なことはほとんど言わず、意味の無い罵詈雑言をただ繰り返し叫ぶ。叫べば叫ぶほどまわりが熱狂していく様子は、意味を排除または徹底的に通俗化して標識の記号のレベルにまで変質した言葉を叫び、唄うときの方が聴いている人間を興奮させるのだ。言葉の中にある意味のレベルが失調して呪文のように聴こえはじめるとき、“言葉が眠るとき、かの世界がめざめる”ように闘争本能や破壊衝動としての動物的本能がめざめる。近代的理性に対して動物的本能が凌駕することへの危機感から書かれたナチズム、ファシズム批判としてのその言葉は、ナチスの右回りの鉤十字が象徴する、暴力と闘争を肯定する獣的世界の復権に対しての理性からの警告であり、かの世界をめざめさせ、意味の排除を指向するポップスや60年代ロックはどこか無意識のレベルで獣的な凶暴性にシンパシーを表明するだろう(オートバイ事故で死んだ青年を賛美するシャングリラスの『リーダー・オブ・ザ・パック』や、彼がおもいっきり殴るのと嬉しそうに唄うクリスタルズの『ヒー・ヒット・ミー』にSSの征服を身にまとってご満悦のブライアン・ジョーンズ)。ケネス・アンガーが正しく指摘したように、ポップ・ミュージックは悪魔の音楽なのだ。
スコセッシはボブ・ディランのドキュメンタリー映像の中で、ボブ・ディランの60年代のプロモーション映像『サブタレニアン・ホームシック・ブルース』の歌詞を書いたプラカードを持ってボブ・ディランが次々と変えて行く部分を使用している。“ジョニーは地下でくすりをまぜ おれは舗道で政府についてかんがえるトレンチコートの男 バッチをひけらかし”と書かれたプラカードが続いていく。ボブ・ディランもまた60年代ポップスのように意味の排除を指向していたのだろうか。『オン・ザ・ロード・アゲイン』の“君のママは隠れているよ 冷蔵庫のなかに 君のパパは歩いているよ ナポレオンの仮面をつけて”。『ボブ・ディランの115番目の夢』の“銀行が担保を要求したので おれはパンツをぬいでみせた”という歌詞を、マイク・ブルームフィールドのエレキギターをバックに早口で唄うボブ・ディランに何か言いたいことがあったのだろうか。『ボブ・ディラン』に収録されている『船が入ってくるとき』の最後のヴァース“汝らの終わりの日は来た ファラオの種族のように、ヤツらは潮に飲み込まれる ゴリアテのように、ヤツらは征服される”や、『追憶のハイウエイ61』のアブラハムが神との対話で、息子のイザクを犠牲の山羊として身代わりに差し出す。その場所はハイウエイ61が最高だと唄い、ロビンフッドに扮したアインシュタインが登場し、身を持ち崩したシンデレラがロミオと出会うという不可解な歌詞が続く。そこには不穏な空気や黙示録的雰囲気は伝わるだろうけど、何か言いたいことがあって、それを正しく他人に伝えたいという気持ちは、この歌詞からは微塵にも感じることができない。ディカプリオのfuck、fuck、fuckの、fuckの連発と何が違うのか。そこにあるのは破壊的な暴力衝動を言葉で説明するのではなく、説明や理解という装置を通さないことで、もっと生々しい獣的な暴力衝動を提出することだ。説明を妨害する、説明や理解という装置を機能不全に追い込むために、もっと不透明で混濁した言葉をボブ・ディランは選択し、スコセッシは紋切り型の罵倒用語を選んだのであり、その説明不可能な言葉の流れのなかに全身を浸すことで、言葉という記号が本来もっている廃墟の生々しさを更に感じることができるだろう。
カフカの『変身』の虫になったグレーゴル・ザムザの“獣のような声”。今まで親しかった家族でさえ不気味な声に聞こえさせてしまう虫になったザムザの声を肯定すること。“獣のような声”とは、ディカプリオが叫ぶ記号の廃墟としてのfuckなのだ。ルーティン的な時候の挨拶ですら家族に届かないザムザは林檎をぶつけられ、誰とも縁がなく死んでいく。それは家族から追放された独りぼっちの孤独な死ではなく、尊厳ある野垂れ死にであり、誰にも理解できない声を肯定することは、集中治療室での猶予された喜劇としての死を廃棄するだろう。『メローなロスの週末』の美しい声の中にザムザの“獣のような声”を聴き取ること。『メローなロスの週末』に、『グッドフェローズ』の“すべてが終わった。賭博もやらず、行列に並んで待つ。クソ面白くもない毎日。これが死ぬまで続く”毎日うんざりしていて、いつも何もかも台無しにしてしまう苛立ちをそこに聴き取れるだろう。『グッドフェローズ』は、ワインと豪勢なイタリアン料理からトマトスープだけのスパゲッティに変質した、台無しになった、もう手のつけようもない日々を肯定するのだ。“昨日という惨禍に遭わない前のわれわれではもはやない”(ベケット)そんな惨禍を、“時間の犠牲者”(ベケット)としてのわれわれをスコセッシは“クソみたいに退屈”だと吐き捨てるように肯定するだろう。
There is a method in our madness. 〜我々の狂気には筋が通っている〜
澤田 育久 (写真家)
「だが妙だ/仮面を作ると変わった/邪悪になった/怪物だ」
映画”ダークマン”より

映画の中で主人公は自分自身の内面の変化をこの様に表現します。また、ニーチェは著書『善悪の彼岸』の中で 「怪物と戦う者は、みずからも怪物とならぬように心せよ。汝が久しく深淵を見入るとき、深淵もまた汝を見入るのである」と述べています。
カメラを持って撮影しながら歩いている時、自分自身の中にある種の変容を見出すことがあります。それは全能感ともいえる歪んだ感覚であり、社会生活を営む自分と作品に向かう自分を決定的に分かつものだと思います。ファインダーを覗いている時は心的にも物理的にも外界から遮断された状態であり、対象をフレーミングによって恣意的に操作し、独善的に意味を置き換えていく作業は確信的な社会性の放棄であり、実際撮影している時は普段なら超えないであろう領域をやすやすと超え、了解している事項でさえ無意識のうちに反故にして対象に向かって行くことさえままあります。また、様々に読み替えることが可能な写真の曖昧な指示性を利用することによっていくつもの自分を装う作業は、自己発見と自己喪失を同時に目指すものであり、撮影行為とその結果としての写真を媒介して現れるものは自分自身でもコントロール出来無い何か怪物めいたものなのかもしれません。
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