The White Report 月刊 ウェブ・マガジン
The White Report 2015年 7月号  毎月20日更新

–目次–
超訳球根栽培法   ・・・・・・・・・ 金村 修
百葉箱 Screen #15   ・・・・・・・・・ 小松 浩子
愛の神々を買わないか   ・・・・・・・・・ 大山 純平
There is a method in our madness.
〜我々の狂気には筋が通っている〜
  ・・・・・・・・・ 澤田 育久
超訳球根栽培法
金村 修 (写真家)
物欲にまみれ、消費衝動を抑えられないブルジョア社会の欲望は、基本的に“他者の欲望”でして、自分が欲しいのではなく、他者と比較することで触発されて生まれる自発性がまるで感じられない欲望です。例えばすでに冷蔵庫を所有しているのに、身近な他者が新しい冷蔵庫を購入したと聞いたら、何故か自分も欲しくなるという他者との比較と関係の中から生まれる欲望が、ブルジョア社会における“他者の欲望”なのです。その欲望は他者が存在するかぎり無限に更新されていくのですが、それは他者がいることで成り立つ欲望なので、他者と共通のコードを共有していることを前提としています。だからいくら無限に欲望が更新されようが、その欲望はわたし達の理解の範疇に収まります。なにしろ他者との比較で生まれる欲望ですから、他者が羨ましがらなければ意味がありませんし、羨ましいと思われるのはそれがお互いに了解できるコードを共有しているからです。コードを前提とした消費活動なので、彼らの欲望はみんなの了解を前提として発動されるのです。了解できない何が何だか分からないものを他者がいくら購入しても、決してそれを羨ましいと思ったり、それについて欲望したりしないでしょう。ブルジョア社会は己の欲望ではなく、他人の欲望を生きているのですね。
ブルジョア社会の欲望は基本的に、他者を徹底的にやりこめ、他者との距離と優劣の序列を絶対化して、他者との関係を最終的に破棄することも厭わないとまで思っていません。共有されているコードの内部で小さな優劣を競い合っているだけの欲望です。そんなブルジョア社会の欲望に対して、シリアル・キラーや芸術家に代表されるほとんど妄想に近い欲望が存在します。自分でも理解できない彼らの欲望は、比較対象がないところで発動されます。この欲望も主体の意志によってコントロールされるような欲望ではなく、むしろ主体が欲望に突き動かされる。主体が欲望によって崩壊してしまうかもしれないというような、アイデンティティー・クライシスをつねに感じさせるような危険な欲望です。自分でも理解できない幻聴に従うようなものです。ほとんど神の声を聴くように絶対的な命令を聴く気持ちでその欲望に突き動かされるので、ブルジョア社会の範疇から暴走しやすいのです。彼らの欲望は、他者を必要としない。むしろ他者との関係を破棄してまでも、欲望を遂行したい。
ブルジョア社会の欲望は他者との比較という、相対的な関係の中で羨み、羨まれる承認と嫉妬の競い合いという形式に対して、シリアル・キラーや芸術家の欲望は、誰にも理解されなくても構わないという承認の欲求が最初から欠落しているので、それは呪術の形式に似てくるのではないでしょうか。承認されなくても構わないと思っているので、そこには理解やコミュニケーションという形式が最初から欠落しています。承認欲求の欠落した欲望は、シリアル・キラーは犯罪を、芸術家は芸術をアルトーが言うように“呪術の形式に組織し直す”のではないでしょうか。
矮小なテクニックを競い合うことに夢中になっている所謂写真家の欲望というのは、基本的にブルジョア社会の欲望です。デジカメの出現で誰もが上手いのが当たり前になってしまったので、そんな小さな競い合いが最近ではあんまり見られなくなりましたけれど。価値は比較されるところから生まれます。自分のやっていることに価値付けを求めるのなら他者が必要になるでしょうが、価値付けられることに欲望を感じるのではないのなら、他者はべつに必要ではない。芸術家やシリアル・キラーは、自分の抱えている欲望が実現するのに他者を必要としていないのです。犯罪者はつねに孤独なのは、自己の欲望に忠実だからであって、その欲望に比較対象がないのです。彼らの犯罪は、他者を意識したスペクトラムを必要としない。孤独に淡々と遂行されればいいのです。そしてその欲望がなぜ発生するのか、その理由が自分でも分からない。分からない衝動に突き動かされて行動する犯罪者と芸術家はたくさんの共通点がありますね。芸術家も基本的には他者との比較を放棄しています。徹底的にパーソナルなことにしか拘ってないので、他人なんてどうでもいいのです。じゃなんで他人に見せるような展覧会をやるのかというと、それは別に人に見せるためではなくて、公衆の面前で吐き出すと言うのですかね、ゴダールが世界にはコミュニケーションしかないと言っていましたが、芸術家にとっての唯一のコミュニケーション形態は、吐き出すことだと思うのです。門問無用にぶちまかすと言うのですか、あるパーソナルな欲望を誰にも理解されることなく思いっきり吐き出したい。
他者との比較を欠く欲望は、孤独にその達成を遂行するのです。そしてブルジョア社会が共有するコードの外部で表明され、遂行される欲望は一方的にならざるをえません。共有すべきコードが成立していないのだから、対話というものが成り立たない。一方的な話にならざるをえない。誰にも理解できない呪言のような言葉を犯罪や芸術は、世界に対して一方的にぶちまけるだけです。それはまじないであり、呪いなのです。そこには客観的な法則もルールも存在しない。“呪術の形式に組織し直す”ことは、世界はわたしにはこのようにしか見えない、それ以外の世界は存在しないというというわたし以外の世界に対する妄想の強要であり、反知性的な表現なのです。その表現方法は、ナチスの考え方と近いところがあるのではないでしょうか。ナチスが知識人や知性を憎悪したのも、ゲルマン民族の神話を貫徹するには客観的、実証的な近代的知性は邪魔なだけなのです。ヒムラーがアーネンエルベで北欧人種の優秀性を調査し、チュートン族の神話や地球空洞説を信じていたのと同じような領域にシリアル・キラーや芸術家の欲望は存在しているのです。
アートの語源は、アールという秘術を意味する言葉ですから、近代社会や民主主義社会よりも、秘密結社や錬金術、黒魔術という秘教的な考え方に芸術はやっぱり親近感を持っているのではないでしょうか。秘術とは、彼岸や彼方の世界をここ、此岸に呼び寄せる技術であり、生命を超えた超越的存在に進化するという秘教的な進化を実現する、それが秘術です。神秘的な外部を呼び起こすために使われる秘術が、芸術の語源なのです。
神秘的な外部を欲求するその欲望は、他者との比較で生まれる欲望ではないし、自発的に生まれてきたわけでもない。それはある日突然に啓示を受けたように突然芽生えてくる欲望だと思います。『レ・ミゼラブル』に書かれていたパリ・コミューンで、政府軍に銃撃覚悟でコミューンの旗をバリゲードの上に掲げたまま撃たれて死んだコミューン兵士の話は、どんな戦争の逸話にも登場する典型的で自己犠牲的なエピソードです。何でいきなりこんなことができるのかって思うでしょうが、何も普段からそういう生死を超越した心境を獲得するためにその兵士が何か修行をしていたわけではないでしょう。その死を厭わない自己犠牲的精神は、突然に天啓のようにやって来たのです。宮沢賢治の『よだかの星』でしたか、すべての虫を食べるのを拒否して死んでいくよだかという醜い鳥の話は。他者を生かすために自分が犠牲になるというその自己犠牲の欲望は一体どこからくるのでしょうか。よだかはべつに虫達に愛されたいと思って死んでいったわけではない。虫の視線によって触発された自己犠牲の欲望ではないと思うのですよね。よだかは誰の視線によってそんな欲望を抱いてしまったのでしょう。パリ・コミューンの兵士も仲間達の視線を意識して銃殺覚悟でコミューンの旗を掲げたわけではないと思うのです。“また一疋の甲虫が、夜だかののどに、はいりました。そしてまるでよだかの咽喉をひっかいてばたばたしました。よだかはそれを無理にのみこんでしまいましたが、その時、急に胸がどきっとして、夜だかは大声をあげて泣き出しました。泣きながらぐるぐるぐるぐる空をめぐったのです。(ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。僕はもう虫をたべないで餓(う)えて死のう。いやその前にもう鷹が僕を殺すだろう。いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向うに行ってしまおう。)/宮溴賢治『よだかの星』”のように、その自己犠牲的な精神は突然外部からやって来たのです。よだかは自殺することで、何かを犠牲しなければ生きて行けない身体のメカニズムを超えよとします。“それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。そして自分のからだがいま燐(りん)の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見ました。すぐとなりは、カシオピア座でした。天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになっていました。そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。今でもまだ燃えています。/宮沢賢治『よだかの星』”。意識的に死の領域に参入することで、よだかは死から再生という新しいよだかになり、それは“今でもまだ燃えています”ように永遠の生命を手に入れるでしょう。よだかは秘教的進化、超越的進化を遂げたのです。秘教的進化、超越的進化とは死の領域に参入し、新しい自分に生まれ変わることです。死からの再生という此岸と彼岸、生と死を連続したものとして捉えるのです。それは超越的領域に参入し、永遠の生命の獲得する欲望なのです。
超越を欲求する欲望はいたるところに偏在しています。たとえばパリ・コミューンが起こる直前に、『危機に瀕する祖国』という新聞を発行していたルイ・オーギュスト・ブランキの武装蜂起論は、人間が肉体から霊的存在へと進化する武装蜂起だったのではないでしょうか。それは社会変革のための武装蜂起ではなく、霊的領域に参入するための通過儀礼としての武装蜂起のような気が、彼の著書『天体による永遠』を読むとするのです。
ほとんどニーチェの永劫回帰を彷彿させる『天体による永遠』は、武装蜂起の中に死と再生を見い出したのではないでしょうか。“我々の地球も他の天体同様、絶えず同じ自己を生み出し、何十億という自己の写し星と共に存在する、原初の化合物の反復体なのだ。それぞれの写しは、それぞれに生まれ、生き、そして死ぬ。過ぎ去っていく一瞬ごとに、何十億という写しが生まれ、そして死ぬ。一つ一つの写しには、すべての事物、すべての生物が、同じ順序で、同じ場所、同じ時間に次々と登場する。それらは、瓜二つの別の地球上でも継起する。その結果、我々の星がこれまでになしとげ、また死滅するまでになしとげるであろうすべての出来事は、そっくりそのまま、何十億というその同類の天体上でも遂行されるわけである。そして、これはすべての恒星系においても同じ事情であるから、宇宙全体が、常時更新され常時同一性を保つ物質や人間の、終りのない、永遠の再生産の場となる。”、“トーロー要塞の土牢の中で今私が書いていることを、同じテーブルに向かい、同じペンを持ち、同じ服を着て、今と全く同じ状況の中で、かつて私は書いたのであり、未来永劫に書くであろう。私以外の人間についても同様である。/『天体による永遠』ブランキ”。彼は“原初の化合物の反復体”として武装蜂起を考えているのではないでしょうか。同時多発的に現れ、複数化され、全宇宙にまで拡大された武装蜂起は、同じ世界が平行線のように重なっているというほとんどパラレル・ワールドとしての武装蜂起です。そして何度も何度も絶えず“同じ自己を生み出し”全宇宙の中で反復され続けるというこのイメージは、永劫回帰としての武装蜂起ではないでしょうか。“未来永劫に書くであろう”と語るブランキは、武装蜂起のための武装蜂起という、武装蜂起の自己目的化を肯定するでしょう。ブランキの武装蜂起には終わりがありません。“未来永劫に書くであろう”と同じ意味で未来永劫繰り返されるのです。
“プロレタリアート独裁を永続革命の一環として考える”とマルクスに批判されたブランキの武装蜂起論の要諦は、永遠に行なわれる永続革命なのではないでしょうか。社会主義政権樹立といういつかの未来のために武装蜂起が行使されるのではなく、武装蜂起そのものの中に未来も現在も過去も一緒くたに“終わりのない、永遠の再生産の場となる”という認識は、霊的世界とは彼岸にあるのではなく、今この此岸にこそあるという魔術師の認識に近いと思います。革命はつねに今現在を要求します。共産主義とは完成されたイメージではなく、つねにそのプロセスのなかにあるというようなことを『ドイツ・イデオロギー』で語ったマルクスもまたほとんどブランキ的な秘教的、魔術的な革命観に近い立場だったと思います。七十年代にイッピー革命家、ジェリー・ルービンが言ったように“すべては今”起きるのです。情勢分析と計画において遂行されるのではなく、天啓のようにいきなり今現在に起きる。革命は霊の存在と同じように、あらゆる場所につねに偏在しているのです。革命はつねにあると確信していたローザー.ルクセンブルクは、虐殺される直前の最後の手紙に、“わたしはかって在り、いまも在り、いつまでも在る”と書きました。それは、革命はつねにいたるところに偏在しているという意味で“わたしはかって在り、いまも在り、いつまでも在る”のです。
自己目的化した武装蜂起は、何度も武装蜂起を行ない続けるでしょう。それは目的を達成することで充足する欲望ではなく、欲望のための欲望であり、無限に求め続け、遂行され続けなければ成立しない『ドイツ・イデオロギー批判』のような欲望なのだと思います。武装蜂起はモナドのように、それ自体で充足できる完璧な経験です。ブルジョア社会の欲望と違い、それはそれそのもので完璧に充足できる欲望のための欲望なのです。
“武装蜂起とは技術である”とレーニンは言いました。レーニンにとってのその技術の意味するところは、近代的テクノロジーとしての技術だと思います。武装蜂起を近代的なテクノロジーではなく、星座との関係で語ったブランキは、蜂起をアート=秘術として考えていたところがあります。占星術は天体の運行と人間の身体や社会が神秘的な連関で結ばれていることを前提とした術でして、武装蜂起と天体の運行を結びつけて語るブランキは、近代以降の社会主義者とそこが決定的に違うところです。近代的な人間であるレーニンは革命を遂行するために客観的なデーターとその分析を重用視しました。今でも左翼が論文や演説の最初に状況分析から始めるのは、そんなレーニン的な近代的意識の影響なのでしょう。占星術も大量のデーターを使用するのですが、ベンヤミンも言うようにそれは科学的であるというよりも、アレゴリー的であって、ほとんど恣意的であり、つながらないもの同士が集まる秩序のない集合でして、占星術=アレゴリーとして考えるとそれはつねに異質なものが並列している集合体です。そしてアレゴリーとは歴史の廃墟であると誰かが言っていました。廃墟というのは、要するに痕跡の集合ですよね。痕跡は痕跡になる以前の姿を完全に想起できるものもあれば、殆どこちら側で勝手に推測しなければならない痕跡もあります。正しい憶測や根拠のない主観的な憶測も含まなければならないところが廃墟としてのアレゴリーです。世界をアレゴリーとして無限の解釈を続けるブランキの革命観は、ほとんど占星術師や魔術師、呪術師と変わりがないのではないでしょうか。科学的に、客観的に正しいか正しくないかなんて知ったことではないのです。ブランキもまたアルトーのように世界を“呪術の形式で組織し直す”のです。
マルクスはブランキ一派に対して、“彼らは革命の錬金術師であって、理念の錯乱を、かたくなな固定観念を、昔の錬金術師たちと分けあっている”と批判しました。世界を星座のように無限に解釈できると思っているブランキは、マルクスの批判するように確かに“革命の錬金術師”です。彼らは理念と言う近代社会の概念に対して、錯乱を導入します。唯一不動のどこにでも適用できる客観的な革命の法則を訴えるマルクスに対して、ブランキは世界を錯乱そのものとして提示するでしょう。歴史の中には客観的な法則が貫徹されているというスターリンの“歴史の客観的な法則”は、アレゴリーと錯乱に溢れる錬金術師的な十九世紀の革命家達に廃棄されるのです。
蜂起の欲望を客観的に説明しようとする近代以降の革命家達に対して、十九世紀の革命家は欲望に言葉を与えませんし、蜂起の過程を科学的に説明することにも一瞥もしません。情勢の分析よりも、天体の運行の方が重要なのです。本来不定形な欲望に言葉という形を与えようとするその運動は、欲望を客体として主体の操作可能な対象に変換することです。けれど欲望は操作可能な客体物として変換可能なのでしょうか。例えばシリアル・キラーが己の欲望を客体化してそれを操作可能な対象にまで変質させることができるでしょうか。欲望を操作することはできません。操作可能な欲望は、それは欲望ではない。欲望とはそれ自身が十全で充足しているもので、説明も形も何かの目的を付加されることも拒否するでしょう。わたし達にできることは欲望の操作ではなくて、欲望の錯乱なのです。錯乱する欲望に陶酔し、耽溺し、その勝手気侭な欲望について行くことだけなのです。
暴力と破壊はただそれだけで充分に充足できる欲望です。暴力と破壊は、バタイユが言うように“過剰への直接的な耽溺”であり、ブランキの秘密結社的要素を引き継いだネチャーエフが『革命のカテキズム』に書き付けたように、“ただただ破壊あるのみ”という風に自己目的化していきます。その暴力と破壊の自己目的化は、世直しや困っている人を救いたいというブルジョアのヒューマニズムから、“過剰への直接的な耽溺”に革命を変質させるのです。
ブランキは表面的には社会主義者ですからそれらしいスローガンを訴えますが、天体の運行で革命の時期を語り、ニーチェの永劫回帰と親近性を持った彼は、武装蜂起を革命のための手段(“暴力は革命のための助産婦である/マルクス”)ではなく、人間が人間を超えて神秘の領域に入るための儀礼として武装蜂起を考えていたのです。そして通過儀礼とはエリアーデに言わせるとそれは、事実的次元における死(肉体の死)を超越するための企てです。通過儀礼が死を禁制化し、隠蔽するのではなく積極的に受容するのは、死は終わりではなく、新しい人間になるための始まりだと考えるからです。“死は最高の加入式、新たなる精神的存在の始まりと見なされるに至る/エリアーデ”のように死は超越的、秘教的進化のための第一歩として捉えられます。
ブランキにとって武装蜂起は通過儀礼であり、始源的光景を再現するための暴力、世界を浄化するための暴力、原古の混沌を表出するための暴力だったのではないでしょうか。そんな彼にとって(獄中にいて参加できなかったのですが)、パリ・コミューンは祭儀の喜びに溢れていた暴力と破壊の場所だったでしょう。将軍を代表とする反動分子や裏切り者をバリゲードの上で一斉に射殺することは、この世界を浄化するための喜びに充ちた暴力です。超越的領域への参入という究極のビジョンに引きずられたブランキの欲望は、世界を暴力と血で徹底的に浄化しなければ、そのビジョンに到達することは不可能だと思っていたのでしょうか。
彼は社会改革ではなく、神話的始源を演じようとしたのです。生と死が連続的だと信じられていた神話的始源。そんな世界の始源的光景を再現しようとすれば、それは原古の混沌が現れます。手のつけられない混沌が、あらゆる種類の禁制への違犯、畏怖され、隠蔽されていた暴力と破壊が現れるでしょう。あらゆる禁制が解かれ、暴力と破壊が徹底的に遂行された千年主義王国運動の“アダムが耕し、イヴが紡いでいるときに、誰がジェントルマンだったのだろうか”というジョン=ポールの言葉は、“アダムが耕し、イヴが紡いでいる”という素朴で美しい神話的光景を再現するためにジェントルマンのいない世界を、司祭、裁判所等々の権力を持つ人間のいない世界を、わたし達を抑圧する階級を根絶やしにすることで、もう一度その光景を再現しようとしたのです。そして神話的光景を今現在に再現しようとするときには、暴力と破壊は必ずついて回ります。インドネシアの領域に存在するある王国は、王が死ぬと民衆はその一週間は必ず破壊と略奪にあけくれたそうです。それは王が亡くなったことで神話の連続が断ち切られたと感じた民衆が、破壊と略奪を繰り返すことで、神話の連続性を再確認したのでしょう。大規模な暴力と破壊は、ユングの言うような集合的無意識を発露させるのでしょうか。神話とわたしとの連続性を確認するための神話的光景の再現として暴力と破壊が行使されるのです。それは一種の浄化作用なのです。
自殺もまた浄化的な暴力です。“つねに死ぬ用意をしていなければいけない”とネチャーエフは『革命のカテキズム』に書きつけました。彼をモデルにしたドストエフスキーの『悪霊』のキリーロフは、“苦痛と恐怖を征服した人はみずから神になる”と言いました。ドストエフスキーの想像する革命家は、彼らのように生きながら死の領域に参入した人間のことです。キリーロフは自殺について“その中にすべてがあるのです。それより先には何もありません”と書いたように、自殺を選択することで物質的レベルとしての肉体的存在から超越的な存在レベルへの転身を選択するのです。死を克服した人間は、たしかに新しい人間です。それはもう人間と呼べるものではないのかもしれない。自殺という自己によって意識的に遂行される死は、既成の神を否定した新しい人間になるのです。死の恐怖を超えた人間。それは殆ど神の領域です。革命家は生きながらにして、神の領域を先取りしていなければいけない存在なのでしょうか。“その中にすべてがあるのです。それより先には何もありません”というように、死はそれ自体で完璧に充足した欲望なのです。“それより先には何もありません”からそれは究極の行き着いたヴィジョンなのです。人間は肉体があるからいつまでも有限的な存在でしかないのです。肉体を廃棄する。死の恐怖の克服とは、肉体の破壊です。肉体の存在は、秘教的、超越的進化を邪魔する足枷なのです。肉体の本能的欲求が、超越的レベルへの跳躍を妨害するのです。自殺はだから肉体に対するテロルであり、ネチャーエフ的な人間から見ればそれは魂を奪還するための浄化なのだと思います。
“革命家とは死刑を宣告された者である”とブランキの思想を引き継ぐ『革命のカテキズム』には書かれていますが、生きているのに死の領域を体現している革命家というのは、たいへんに選ばれた人間にしかなれないでしょう。死は誰にも分からないし、経験することも不可能な領域です。そんな領域を体現している革命家とは、徹底的に生者に対して外部的な存在です。人間の生とは一切の共通コードを持たない。生に対して不穏な存在として革命家はこの世に現れるのです。
ネチャーエフの欲望は他者という比較対象を持ちません。死は生とは非対称的な関係しか持てないので、死を体現しているネチャーエフにとって比較すべきものなんて存在しないのです。比較対象を持たない死に裏付けられた欲望は、他者との関係で触発される欲望ではなく、ただその欲望が命ずるままに遂行されなければいけません。ネチャーエフは投獄されてから何年か経ったときに、同志から脱獄のチャンスがあることを伝えられました。けれどその脱獄のチャンスとロシア皇帝暗殺のチャンスが重なってしまい、彼は自分の脱獄ではなく、ロシア皇帝暗殺のチャンスを優先させるよう同志に命令しました。革命という欲望は最終的にはその欲望を抱いている自分でさえも、その欲望を遂行させるために見捨ててしまうのです。“個人は革命のための歯車である”と『革命のカテキズム』に書かれていますが、革命の大義を遂行するためには、自分をも歯車として組織し直すネチャーエフは、過酷なロシアの獄中で悶死することも構わないのでしょう。欲望はその遂行のために、主体という自分を歯車のように扱い、見捨てることも躊躇しません。欲望は最終的に生とそれを支える肉体と敵対するのでしょうか。肉体の有限性が欲望の遂行を邪魔するなら、欲望はそれを平然と切って捨ててしまうのでしょうか。
浄化としての暴力は、ナチス突撃隊の街頭での無制限の暴力もまた正当化していく側面があります。祝祭としての暴力に目をつけたナチスは、ブランキ的な魔術と浄化としての暴力を鉤十字の領域に引きずり込んだのです。逆回りの卍は、闘争本能の無限の解放を象徴するもので、それは暴力の無制限の発動であり、暴力の発動を快楽に転化することを要求するのです。“革命家は殺人を快楽に感じるまで意識を転倒しなければならない”と平岡正明は言いました。欲望に忠実になった欲望は、欲望のための欲望として、欲望が一人歩きし始めるのです。欲望を抱えた主体は、欲望を実現させるためのたんなる歯車であり、“殺人を快楽に感じる”人間には、欲望の命じるままに動き始めるしかないのです。
暴力の欲望は、暴力を行使し続けることだけに欲望するので、それが何のために行使される暴力なのかという当初の目的が、行使され続ける暴力の中で摩滅されていきます。暴力は、暴力を行使するということだけを目的とする暴力の自己目的化が出現します。最初は主体的な意志で行使される暴力ですが、すぐにその主体が暴力の虜になる。むしろ主体は暴力に引きずられるようにして暴力を永遠に行使し続ける。それは平岡正明の言う“快楽を感じる”という主体的なアプローチが、暴力の反復の過程で反転されます。暴力に快楽を感じるという主体の意識は消去され、暴力の酩酊状態の中で主体は放棄されてしまうでしょう。暴力の快楽に飲み込まれたのであり、それは暴力に主体の場所を奪われてしまったのです。ナチスは人間が暴力の奴隷であることを、社会の浄化を理由に正当化しました。そしてその行使される暴力が、呪言のように誰にも理解できなくても構わないと肯定したのです。“ユダヤ人の問題は、衛生の問題だ”とゲーリングのこの言葉は、ユダヤ人が何故衛生の問題と同一視されるのか科学的な説明が一切なされず、それはユダヤ人だからというトートロジー的な理由以外には何もない、誰にも理解できない理由です。そんな誰にも理解できない思い込みだけで成立するスローガンを掲げた組織が権力を掌握したのです。
“街頭を掌握した者だけが権力を掌握する”とゲッペルスが演説で語りました。街頭とは何でしょうか。街頭に集まった人間は、群衆という集合的な存在に変質させられます。個人を群衆に転化させる街頭という場所は、個人や階級や所属先という自己の存在を証明する帰属先を一旦消去してしまう場所です。誰もがそこでは匿名の存在になれる。要するに名前を捨てられる場所ですね。そこでは社会的な身分から生じる自意識や振る舞いを、そしてそんな振る舞いを成立させる他者の視線を感じなくてもいい。何しろ群衆というのは、わたしがその他の一人という無責任な匿名でいられる集団ですからね。視線を放棄してたんなる個として存在するわたしは、何をやってもいいような気になる。誰も見ていませんから、日常的に抑圧されている感情が爆発しやすくなる場所ですね、街頭というのは。自分の意識が無意識下の動物的な闘争本能に浸食しやすくなる場所だと思います。ナチスは人間の闘争本能を公然化することを煽動しました。自らを火星の化身に例えたナチスは、闘争神としてのマルス=火星に自己のイメージを委託し、暴力や破壊を正しいことだと宣伝しました。無責任な闘争本能や破壊欲を煽動するゲッペルスが、街頭に目を付けたのも当然のことです。街頭に持ち込まれた無数に乱立するハーケンクロイツの旗や松明に、党歌を唄いながら棍棒でユダヤ人や共産主義者に襲いかかるその光景に、神話的な光景が群衆のみんなにとって重なり合って見えたのでしょう。暴力や破壊がなんだかすごく素敵なことに見える。
ブルジョア社会の都市の街頭は、他者との比較で触発される欲望でいっぱいです。ライトアップされ、デパートのショーウインドウに飾られる美しい洋服や高級感溢れる食べ物がきれいにデコレートされる。そんな“他者の欲望”に溢れたベルリンの街頭で公然と現れた暴力は、そんな欲望を嘲笑するでしょう。同胞愛を説き、相互扶助や友愛や平等を唱え、ゲルマン民族の優秀性を訴える彼らナチス党員の姿が、着飾ったブルジョアよりも私利私欲のない高貴な神話の世界のような人間に見えたのです。彼らの行使する暴力や破壊はユダヤ資本で汚辱されたベルリンのファザードを浄化するものであり、ユダヤ商店街を破壊し尽くす彼らは十字軍のような英雄だったのです。
他者の相対的な視線を気にして生きるよりも、虚構としてのゲルマン民族の優越性を語る彼らの誰にも理解できない呪文のようなスローガンは、わたし達を違う世界に連れて行ってくれるでしょう。そして視線の中で成立するブルジョア社会の欲望ではなく、視線を跳ね返す、視線を暴力的に廃棄した陶酔の中での欲望に魅力を感じてしまうのです。彼らに敵対する特にユダヤ人や知識層の視線を根絶やしにしなければならない。彼らが客観性や実証性や知識を嫌悪するのは、その視線がナルシスティクな陶酔を邪魔するからです。それらの視線は、強い批評性を持っています。彼が望む視線は、自分達を英雄として祝福してくれるような手前勝手な視線です。
ゲッペルスの“街頭を掌握せよ”という演説は相対的な視線の中で欲望を満足させているブルジョア社会の人間に向かって、またはブルジョア社会の落ちこぼれた人間達に対して、見る/見られるという相対的な視線を廃棄し、見るという一方的な視線を勝ち取るよう訴えるのです。写真家がカメラを覗くときの欲望とそれはそっくりだと思います。写真家はほとんどナチスに近い。写真家はつねに一方的にしか対象を見ません。ファインダーを覗いていると奇妙に興奮するのは、自分は見られていないという安心感が更に対象に没入させて、興奮させるのでしょうか。カメラはファインダーを覗く人間を“見る”という特権的な立場に立たせます。わたし達もまたゲッペルスのように“街頭を掌握”しなければならないでのしょうか。“街頭を掌握”して、視線を跳ね返す特権的な立場に立たなければ写真を撮ることができないのです。自分が見られているなんて思ったら、写真なんて一枚も撮れないと思うのです。写真家は決して見られる立場に移行することは不可能でしょう。ゲッペルスの言う“街頭を掌握”する立場にひたすら寄り添うだけです。
百葉箱 Screen #15
小松 浩子 (写真家)
美とは1.美しいこと。美しさ。2.よいこと。りっぱなこと。3.(哲学)知覚・感覚・情感を刺激して内的快感をひきおこすもの。とされる。美は一意に定義することが困難である為、美学と呼ばれる学問としての美の定義付けが存在する。美の種類、若しくはカテゴリーとして1.自然美、2.芸術的な美、3.造形美、4.機能美等が挙げられる。小学校より数名の級友と帰宅途中、空き地で3匹の仔猫を発見する。辺りに親猫の姿は無く生後間もないと思しき仔猫は身を寄せ合って鳴いている。児童たちは分担し段ボール・古タオル・食器・食料を持ち寄り空き地の目立たない箇所に設置し仔猫の世話を始める。猫につきものとされる蚤は節足動物門昆虫綱蚤目に属する昆虫の総称で虱と共に代表的な外部寄生昆虫に数えられる。体長は1mm以下~9mm程度で世界各地に分布し16科約200属約1,800種が記載されており、その全ての成虫が哺乳類など恒温動物の体表に棲み吸血して生活する。双翅目の蚊や虻等と同様に二酸化炭素を感知して寄主を探す。寄主が死ぬと新たな寄主を探して移動する。世話を始めて数日後に1匹の衰弱が著しくなり目を閉じてうずくまり肩で息をしている。児童達が為す術も無く見守るなか呼吸が徐々に緩慢になって行き、暫くすると毛の間から次々と蚤が現れ仔猫から離れて行くのを見て仔猫の死を知る。死んだ子猫を公園の植え込みに埋葬した後、早急に子猫の引き取り手を捜す事になり、それぞれ街に散ってから暫くすると1人の児童が貰い手を見つけたと言うので2匹の仔猫を連れて小さな集合住宅へ向かう。小さな集合住宅の一室は不特定の若者が出入りしている場所のようで平日の夕刻に10名程の男女が集っており、中心人物らしき若い男性の隣に座っている女性が仔猫を飼うと言う。児童達が座っている女性に2匹の仔猫を差し出すと1匹は「醜い」という理由で戻される。美とは価値観念・価値認識の一つである。人類において普遍的に存在する観念であり表象であるが、一方では文化や個人の主観枠を越えて超越的に概念措定しようとするとき明確に規定困難であり、それ故美には普遍的な定義はないとも形容される。しかし他方では美は感性的対象把握において、超越論的に人間精神に刻印された普遍概念であるとも解釈できる面を持っており美の定義は発生するが美の現象・経験は世界に遍在してあるという存在事態が成立する。戻された仔猫の顔を眺めると衰弱からか目を患っており黄色い目やにが出ている。非常に恐ろしい老婆が大量の猫と暮らす猫屋敷と呼ばれる家があり、万策尽きた児童達は仔猫を抱え恐怖心を抑え呼び鈴を押す。出て来た初老の女性は無愛想ではあるが特に恐ろしいと言う事もなく児童達と仔猫を招じ入れ、大量の猫が見守る中でぬるま湯に重層を溶かし脱脂綿に浸して仔猫の目を拭き取り、栄養状態が改善する事で直ぐに治癒すると言う。お伽噺では美しい姫は様々な困難を乗り越え末永く幸せに暮らすと言う。一方は「美しい」という理由で集合住宅に、もう一方は「醜い」という理由で猫屋敷に居住する事になったが、「めでたしめでたし」以降に何が起こるかは知る由も無い。
愛の神々を買わないか
大山 純平 (写真家)
7/1 現状に満足していると運気が停滞しそうです。良い運気の時は果敢に挑戦するくらいでちょうど良いものです。自分の持ち味が充分に発揮されているかどうかを、よく考えてみて下さい。お酒を飲みにいくと、今まで知り合いにはいなかったようなタイプの人に気に入られそうです。相手とのつきあいが長い人は、互いの考えていることが言葉にならなくてもわかるかもしれません。絆の強さを確認できそうです。取引先の担当者から、大きな仕事を依頼されたりしそうです。あなたが信頼されている証拠と思っても良いでしょう。次々と新しい発見ができる人と知り合いになれそうです。おしゃれな人が多く集まる話題の店を覗いてみて下さい。もしも相手が今まであまり感じていないようであれば、開発してあげるくらいのつもりで相手を愛撫してあげましょう。愛情も深まります。こういった妄想とヒステリーを見せられた時には、私はただ驚くばかりでした。彼らは動物みたいで、目に入ったものは全部ばらばらにしてしまいます。そうかと思えば、別の患者などは、身を隠して、自分の周囲のものがすべて崩壊し、自分の邪魔だてをするものが全部破壊されるそのときをただ待ち望んでいるのです。地獄みたいです。誰もが叫んで吠えて泣いて歌っています。あちこちで呪いの言葉も聞こえます。みんなそれぞれその道では大家です。時々お互いにかみ合ったりひっかきあったりしています。自分を守るためです。そして床の上を転げまわり、その後は疲れてやめますが、誰かが他のことを思いつくまで待っていて、前と同じことを始めます。 7/2 メールを打っていて電車を乗り越しそうです。夢中になりすぎないで下さい。いつも笑顔の人と仲良くなっても、一緒に食事に行くのはやめたほうが良さそうです。新製品や話題の商品に心動かされても、すぐに購入するのは避けて下さい。どうしても手に入れたいのなら、明日かあさってまで待って下さい。今日は約束があっても断って、まっすぐ帰宅しましょう。恋人といると対立しそうですので、家にいるほうが賢明です。自意識過剰な異性にしつこく迫られ、うんざりしてしまいそうです。隙を見せるとつけこまれるので、毅然とした態度で察して下さい。カラオケや飲み会など、付き合いもほどほどにしておいて下さい。特に、初対面の人がいると精神的に疲れてしまうでしょう。些細なことから口喧嘩になりそうです。うやむやにしたままセックスをすると、あとで後悔することになりそうですので気をつけましょう。今日は1つのことに集中していたほうが良さそうです。あれこれ手を出すと、かえって周りに迷惑をかけるかもしれません。小さな実験室の中で起きる爆発は、我々が仕事の中で用いる物質にもともと具わっている性質であるため、避けられないからである。「物質の抵抗にかすかに額にしわを寄せるが、研究者はさらに作業を続ける」。 7/3 「情けは人のためにならず」の精神でいて下さい。見返りを期待しない今日の親切が、いつかめぐりめぐってあなたに倍の幸せを運んでくるはずです。何か良いことが起こるはずです。自信を持って下さい。意外な進展があるかもしれません。付き合い始めたばかりの人は、今日を機に相手を恋人と呼べるようになるかもしれません。ひょんなところで偶然知り合いと会う可能性が会う可能性があります。あの知り合いから異性を紹介されるなど、やる気がおきないなら、無理をせず、話し合ってからセックスするべきです。早めに帰ってゆっくり休養をとるようにしましょう。 7/4 久々にあった友人に遠慮のない物言いをされて、腹が立つかもしれません。甘い物を食べて気持ちを静めて下さい。「衝動買いも悪くない」と思えるようなものが買えますが、滅多にないことと心得ましょう。味をしめてはいけません。いつもきちんと整理する人は、見せる収納に模様替えをして、普段の労力を省いてみましょう。携帯電話を買い換えたり、文房具品を新調するなら今日がいいでしょう。勉強や仕事に対してやる気が高まり、金運も上昇しそうです。初対面の人から実力以上に評価されていい気分になりそうです。ただ、得意になってしゃべりすぎると、墓穴を掘ってしまう可能性もあります。控えめにして下さい。今日は何をやってもいい方向に行きそうです。中途半端になっていたことも片付いて、気分的にもすっきりできるでしょう。今まで望んでいたことが一気に叶いそうです。時には2人で贅沢をしても良いでしょう。 7/5 白黒をつけるよりも、曖昧なままにしたほうが良い場合もありそうです。そういった状況判断も適切にできるはずです。やっと思い出したのに、それが無用になるかもしれません。「つもり貯金」をしてみましょう。たまったお金で旅行をする、欲しい物を買うなどを目標にすれば、励みになりそうです。おいしいものに縁がある日です。目上の人から食事の誘いがあったら、二つ返事でついていきましょう。出会いのきっかけがつかめそうです。肉体的には疲れていなくても、気がつかないうちにストレスがたまっているかもしれません。気分転換を心がけて下さい。何をしても充実感を覚えることができそうです。濃厚なキスもおすすめです。 7/6 いくら流行を追ったおしゃれでも、時と場所をわきまえないと、白い目で見られます。いつになく財布の紐が緩みがちです。バーゲンといえども浮かれて買いすぎると、あとで後悔を残すことになります。買う前に良く検討して下さい。自分らしさにこだわるあまり、周囲から浮いてしまっていませんか。時には自分を客観的に見つめなおす必要がありそうです。何気なく言った言葉が、周囲の人の心証を害してしまいそうです。悪気があってのことではないにしても、注意が必要です。今日は約束を入れたりしないで、1人で行動するようにしましょう。繁華街などで声をかけられても、相手にしてはいけません。私はバーゼル市内を歩いている間、ずっとたたかれっぱなしでした。これはシュニッツェルバンクと関係していて、その象徴はカーニヴァルです。あのときにはみんな乱暴なことをしようとするじゃないですか。バーゼルのカーニヴァルでは、「シュニッツェルバンク」と呼ばれる風刺詩が読み上げられる風習がある。この詩では、その中で取り上げられる人や物に対し、罵詈雑言が浴びせかけられる―周知のように、彼による連想実験でも、それと同じことが行われていた。シュニッツェルバンクにより、バーゼル全部が、徹底的にこき下ろされて、あざけりにさらされる、たたかれっぱなしになることが必至となる。連想実験に際しても、一連の刺激語によって被験者がずっと追い立てられ、一つひとつの単語によって痛烈な打撃を受け、被験者のコンプレックスが指摘されてしまう。 7/7 せっかくの七夕ですが、あなたの気分は優れないはずです。相手とはまた会えるのですから、今日はゆっくりと休むようにするべきです。無理をすると体調を崩すおそれがあります。さらに体力も落ちているようなので、いつものつもりでいると大失敗をしてしまうかもしれません。法外な料金を請求されるなどの危険がありそうです。今日はやめておきましょう。トラブルを招いてしまいそうです。お中元は無理せず、中くらいのものを選びましょう。送る人数は減らさないほうが良さそうです。できれば外出は避けたい1日です。周りの人の同行に惑わされやすい日です。同調して慌てると、あなたが貧乏くじを引くことになりそうです。冷静に対処しましょう。 7/8 賭け事で一発逆転を狙っても、今日は不発に終わりそうです。今までの分が帳消しになるぐらい、お金を使ってしまうおそれがあります。尊敬していた人の、別の顔を知ってしまいそうです。でもそれは、今まで自分にとって都合のいい部分だけを見ていたのかもしれません。平凡な毎日を物足りなく感じていても、誘惑に負けて軽率な行動をとらないよう注意して下さい。足元をすくわれるおそれがあります。相手が他の人と会っている可能性があります。もし許すことができないならば、相手のことはすっぱり諦める勇気を持ちましょう。 7/9 溜め込むことばかり考えていても状況は変わりません。時には思い切って使うことも必要です。本当に価値があるものかどうかを見極めましょう。納得のいく意見かどうかを冷静に考えてみましょう。頭の回転が速くてほれぼれする人に出会えるかもしれません。親しくなる努力をして下さい。こんな日もあるのかと思うほど、午前と午後で人への印象が変わりそうです。午前中知り合ったどうでもいい人が、午後には大切な人になるかもしれません。相手との休暇の計画を立てるなら、今日がいいでしょう。予約を取るにしても、何かいいことがあるかもしれません。 7/10 今日は部屋にお香をたくなど、匂いの演出をすると、良い出会いが期待できそうです。軽く香水などをつけて出かけるのも良さそうです。すべてが楽しく感じられるときです愛情と快楽が同じくらいに深く、思いっきり感じることができそうです。存分に楽しんで下さい。恋人との関係は良好で、将来的な話まで発展しそうです。恋人のいる人は、お互いの友人や家族に紹介する時期かもしれません。2人の仲は、ますます深まっていくことでしょう。生殖への衝動そのものが、内部に矛盾を抱えながら成立している。若い女性たちにかかわってきた私の経験から言えるのは、通常、抑圧されていた感情よりも前面に出てくるのは不安の感情である、ということだ。そういった不安の感情は、初めて思いが遂げられそうになるときに現れ、しかも、次のような、極めて定まった形をとっているものだ。敵は自分自身の中にいる、という感覚にとらわれる。激しい恋愛感情が、必ずと言っていいほど、自分では望まないことを自分にするよう仕向ける。これで終わりだ、これははかないことだ、という感覚にとらわれる。こういった感覚を持つと、ずっと遠くに逃げ出したいと考え続けることになる。生成に対応するのは生殖衝動そのものの中にある歓喜の感情であるが、性本能の破壊的な要素に対応するのは不安と吐き気である。 7/11 大したことがないと高をくくって問題の解決を先延ばしにすると、後で慌てることになりそうです。格闘技などを観ると、何事にも攻めの姿勢で取り組もうという気持ちになるでしょう。旅行に出かけたら、夜空を静かに眺めて下さい。迷っていたことに踏ん切りがつくはずです。「バーゲン」「セール」の表示を目にしたら、覗いてみて下さい。以前から欲しいと思っていた商品が格安の値段で手に入りそうです。今日出会う異性には、「鉄は熱いうちに打て」の姿勢で接すると良いでしょう。決断は素早くすることです。体の中にある快楽の源がうずいて、新たな快感を生み出すことでしょう。臆病にならずに積極的に愛し合うようにして下さい。 7/12 大風呂敷を広げることは無駄ではないのですが、具体的なアイデアがないと信用されません。バーゲンの誘惑があっても、お金がないなら、用事のない場所へは出かけないで下さい。疲れが取れないのは睡眠不足が原因かもしれません。入浴後に体をほぐすと、ぐっすり眠れそうです。魅力的な健康器具などを目にしても、すぐには買わずにしばらく考える時間が必要です。体力に見合ったものでなければ長続きしないばかりか、元が取れません。今日はやるべきことの半分も達成できずに、1日が終わってしまうかもしれません。あせればあせるほど、空回りしてしまいそうです。優柔不断な態度をとると、性格が悪いと誤解されそうです。 7/13 独立や転職を考えているなら、他人に言わずにひそかに準備を進めましょう。気を許してもらすと思わぬ横やりが入るかもしれません。お互いに直感的に相性が良いと思える異性との出会いがありそうです。でも、積極的にならないと、忙しさに紛れてすれ違いで終わってしまうかもしれません。新たな出会いによって、生活が一新されそうな日です。変化を恐れず飛び込んでしまった方が、結果的には良いようなので積極的にいきましょう。自分がやらねばならないのは、まさに彼がいっていたように家を出ることだけだ。それはなんと単純に思えたことか。私がほぼ不可能だと思っていたことは、いざとなればほんとうにまったく簡単なことだ。だが嵐に足止めされていることとは関係なく、私は相変わらず動かない。ひょっとしたらその原因は、自らの変えようがない運のなさに対する確信、あるいはどんな決定的な歩みを踏み出すことに対しても抱く生来の恐怖心かもしれない。扉が風邪でバタンと閉まらないように押さえながら、私は振り向いて後ろの階段のほうを見る。結局は自室に戻ることにするかもしれない、とでもいうように。 7/14 無料体験・無料キャンペーンという言葉には要注意です。うまい話には必ず裏があるものです。ただより高いものはないと心得ましょう。今流行のファッションを取り入れる前に、自分に似合うかどうかをよく考えてみましょう。人が大勢いる中で、トラブルを起こしてしまいそうです。相手も巻き込んでしまうおそれがあるので、できれば会わないほうが良いかもしれません。今日は机に向かって仕事や勉強をするのが、苦痛に感じそうです。外出する用事をつくって、外の空気を吸ったほうが良いでしょう。意中の人に気に入られようと親切の押し売りをして、かえって嫌われてしまいそうです。発言や行動する前に一呼吸入れてみて下さい。心が体についていきません。体は熱いのに心が冷えっぱなしになりそうです。 7/15 以前にかかわりのあったものと再び向き合うと、運を呼びそうです。気まずくなってしまった人ともやり直すことができるでしょう。真剣に助言が欲しい時は、はっきりそう言うべきです。何気なく話しても気持ちが伝わらず、茶化されて終わりになるかもしれません。買い物するなら今日が良いでしょう。良い物を見抜く感が冴えているので、見かけに騙されることなく、本当の意味での逸品を手にすることが出来そうです。「この市場では、すばらしい品物がたくさん売られておりますが、なかでも、ここにいる異国から仕入れてきた鳥たちはきっと気に入っていただけます。どうかお聞き下さい。この美しい鳥たちをよくご覧なさい。どれでもお買い求めになれますから。」 7/16 仕方なくやっていることがあれば、立ち止まって見直してみましょう。実は不要なことかもしれません。幸運な色の下着を身につけると、ちょっとしたいいことがありそうです。金運も好調なので、興味がある人は、宝くじなどを買っても良いでしょう。賭け事をすると、うまくいきそうです。偶数番号の運気上昇の可能性がありそうです。新しいお店や、新装開店したお店であれば、なお良いでしょう。今日はいつもよりオシャレをしてみましょう。幸運な色をあしらった装いでデートに臨むと、良いことがありそうです。 7/17 今日1日の終わりには、読みかけの本を手に、心静かな時間を持つのも良いかもしれません。掃除を念入りにすると、なくしたと思っていたものが、ひょっこり出てきそうです。ペットを飼っている人は、かわいい仕草を写し、友人にメールすると喜ばれるでしょう。ダメかと思っていたことが、土壇場でうまくいくことがあるかもしれません。迅速な対応が運気を上昇させてくれるでしょう。 7/18 用事もないのに出かけると、無意味で邪魔なものを買うことになります。不要な外出は控えたほうがよさそうです。一緒に映画を見ているとき、悲しい場面に素直に涙を流す恋人がますます愛おしく思えてくるかもしれません。車で外出するときは駐車違反に気をつけて下さい。高い罰金を払うことになりかねません。用事を早々に切り上げて帰ることにもなりかねないので、デートならなおのこと用心しましょう。いつの間にか溜まっていたストレスが、悪い形で出てきそうです。相手にはけ口を見つけたりすると、衝突はまぬがれません。何だか、朝から落ち着かない気分の日です。そわそわしていると人に不快な印象を与えてしまうので、人が大勢集まる所は避けて静かに過ごしましょう。これはわたしが知っている世界ではない。わたしはぐるりとあたりを見まわす―群集、超高層ビル、車の洪水。何もかもが錯乱し、不吉で、狂っているようだ。歩道には文字通り群集がひしめいており、誰かにぶつからずに歩くなどということは不可能だ。人間の顔をさがすが見つからない。ただ、仮面、ダミー、ゾンビの大群が、頭を下げて、すごい勢いでやみくもにすれ違っていくだけだ。 7/19 抽象的な助言を受けたら、納得したふりをしないで下さい。どうしたら良いのか具体的に思い浮かばなければ、もう少し詳しく聞いたほうが良さそうです。上司や年長者の冗談を茶化すと、青ざめることになりそうです。食事をするなら、豪勢なレストランに行くより、自分の家で好きなものを作るほうが正解です。今日は散財には向きません。今日は体と心を休ませるときだと思って下さい。無理にセックスをしてもトラブルの元になるだけです。相手との接触も避けたほうが無難でしょう。慎重に行動しましょう。1つひとつ片づけましょう。結果的に失敗してしまいます。早めに家に帰りましょう。 7/20 今日は何より相手を愛してあげるよう努力しましょう。ただし、何でも過剰は禁物です。相手の様子を見ながら調整すると良いでしょう。恋人を試すようなことは、避けて下さい。出かけるのは避けて下さい。汚したり傷つけたりするかもしれません。衝突しそうです。避けた方が良いでしょう。冷静に対処することが必要です。注意しましょう。時間をかけてやりましょう。うんざりしそうです。参考にできそうなところは取り入れてみましょう。今日は口を挟まない方が良いでしょう。 7/21 行き詰まりを感じても、泣き言を言わないほうが良さそうです。自然に過ごしていれば、援助してくれる人や新しい展開をもたらしてくれる人が現れるでしょう。外出先では、役に立つ情報や気の会う異性との出会いがありそうです。何で自分にばかり?と疑問に思うほど厳しい態度をとってくる人と知り合いになる可能性がありますが、誰よりも大切な相手になるかもしれません。情熱的な願望、すなわちリビドーは、二つの側面を持っている。一方でリビドーは、あらゆるものをやわらげる力であるが、他方では、状況次第であらゆるものを破壊する力でもある。 7/22 楽しい時間を過ごすことができそうです。ただし、あまり夢中になりすぎて相手が引くことのないように気をつけて下さい。何事もほどほどが良いようです。トラブルに巻き込まれたら、誰の責任かはっきりさせるよりも、解決策を練ることを優先して下さい。「これだけはされたくない」と思っていることを恋人や友人にされても、なぜか怒る気になれない日かもしれません。新鮮味が薄れてきた2人にはチャンス到来です。いつもと違った雰囲気を演出して下さい。和の香りのする扇子を持ち歩きましょう。その柔らかな涼風がフェロモンとなって漂い、あなたに夢中になる人が現れそうです。 7/23 他の人とは違った視点から考えたり、行動するように心がけて下さい。それだけで、難しいと思ったことが難なく達成できるでしょう。無駄と思えることには、改善策を提案して下さい。小さな改革が大きな成功につながるかもしれません。調子に乗りすぎると、終電を逃して痛い出費になりそうです。気をつけましょう。経済的な問題に頭を痛めていた人は、何とか危機を回避できそうです。無駄遣いしない程度なら、今日は外食や買い物で息抜きをしても良いでしょう。「まずはこの大きな鳥をよくご覧なさい。陽気でいたずらものです。木や薮から身軽に元気いっぱい跳ねおりてくるのにあっというまに元の木の上にいる。こいつのことを大げさに言うつもりはありません。でも、ご覧なさい。元気なやつでしょう。お買い得です。」 7/24 渋滞に巻き込まれるとわかっているなら、車で出かけるのはやめましょう。今日はスタミナよりも、バランス重視の食事を心がけて下さい。油っぽいものは控えたほうが良さそうです。恋人とのセックスのとき、気持ちを求めているのに体が反応しなくても、焦らないで下さい。大らかな気持ちで過ごしましょう。今日は2人で会っていても、楽しい気分になれないでしょう。逆に不愉快な気分になるかもしれませんので、デートはやめたほうが良さそうです。「出会いはあるけれど、いい人がいない」とぼやいている人は、外見ばかりに気をとられてませんか。雑誌や本などを買って、セックスの研究をしてみて下さい。ただ、今日の実技はお休みのつもりで、頭の中で想像してみましょう。 7/25 引き締まった友人の体を見ても、劣等感を持つ必要はありませんが、もしダイエットを始めるなら、今日が良いでしょう。自分や家族の今後について考えるのにも良い日です。じっくり話し合ってください。スーパーなどの広告をよく見ると、必要なものが特売になっているのを発見しそうです。寄り道に運がある日です。今日はお決まりの道順ではなく、いつもと違う道を通ってみて下さい。意外な掘り出し物に出会えるかもしれません。朝目覚めた時から、何か良いことがあるかもしれません。今日は多方面で活躍できそうです。今日のあなたは絶好調です。体調は朝から絶好調でしょう。最高の時間と快楽があなたを待っています。 7/26 意味がわからないことは、その場でしっかり質問することが大切です。わかったふりをしていると、後で自分が困ることになります。見た目で人に判断しないようにしましょう。取り返しがつかないことにならないうちに、もう一度よくその人の言動を分析してみて下さい。家計簿の計算を間違えていないか、確認をしましょう。あなたの自分勝手な行動に相手が怒ってしまいそうな予感がします。自分が悪かったらちゃんと反省して謝りましょう。デートには清潔感のあふれる服装を心がけて下さい。自分のことばかり考えないようにしましょう。電車の中で足を踏まれたり、通路で人にぶつかったり、出会いというよりは不意打ちで人と衝突しそうな日です。とっさの対応が好感度を左右します。対応次第では付き合いに発展する可能性もあるかもしれません。 7/27 今日は、滅多にないチャンスが巡ってきます。中途半端に満足しないで、とことん活かすことを考えましょう。もし買い物で迷ったら、大きな方を選べば後悔せずに済むかもしれません。恋人に浮気疑惑が浮上するかもしれませんが、勘違いの可能性が高いでしょう。ストレスもなく、落ち着いた気分で1日を過ごせそうです。読書や散策などで、ゆったりとした時間を持ってさらにリフレッシュしてください。爽やかな運気の日になりそうです。出会い運も好調なので、友達を誘って積極的に人の集まる場所に出かけましょう。恋人のいる人は、相手との間に思いがけない幸運なことが起こる可能性があります。今日は、期待して良いでしょう。 7/28 嫌なことがあったら、まず深呼吸して下さい。後は気の向くまま、やりたいことを思いきりやりましょう。結果は後からついてきます。お金を貯めることや節約することよりも、いかに有効に使うかを考えて下さい。携帯ストラップを替えると、良い気分転換になるかもしれません。今まで2人で築き上げてきた関係が行為に表れ、思い切り愛し合うことができるはずです。相手の気持ちいいところを重点的に攻めてあげましょう。この悪魔的な力はその本質から破壊(悪)へと向かいますが、同時にまた創造する力でもあります。だから、(二人の人間の)破滅から新しい一つのものが生成されるのです。そしてこの力こそが性欲動なのです。性欲動は本質的に、個々の人間にとっては破壊への衝動であり、あらゆるものの根絶に向かう衝動です。ですから、私の考えでは、性欲動は、誰の心にも、克服しなければならない巨大な抵抗を呼び起こすのです。努力が実り、素敵な出会いがあるかもしれません。この状態を長く続けたいなら、今後も努力が必要でしょう。永遠に閉じ込められる身なのだと思うとわたしは正気を失い、素手で壁を打ちこわそうと、爪でレンガをかきむしり、モルタルをはがす。恐ろしすぎる。わたしは、空を見ないで生きていけるタイプの人間ではないのだ。それどころか、一日に何度でも空を見ずにはいられない。星のように空の一部になりたいと心から願っているくらいだ。閉所恐怖症の冷たい指が冷ややかにわたしに触れる。こんなふうに閉じ込められているのは耐えられない。何とか抜け出なくては。 7/29 精神的に余裕がある人は、恋人の前でも落ち着いていられそうです。相手に余裕がなさそうなら、あなたが主導権を握りましょう。日頃の真面目な姿勢が評価されて、活躍の場が増える可能性がありそうです。地道な努力が報われる日でしょう。雰囲気の良い喫茶店などで、夏のみずみずしい果物を注文しましょう。街を行く人があなたに注目してくれるかもしれません。 7/30 「責任」「義務」という言葉の意味を考えてみて下さい。思い当たることが多いはずです。目標に対して意思を強く持ち、全力で成し遂げる決意を固めて下さい。感情がコントロールできなくて取り乱しそうです。そんなあなたを「かわいい」と思ってくれる人がいるかもしれません。友達から相手にされず、自分だけがのけ者になっているような、取り越し苦労をしてしまうかもしれませんが、そんなあなたを見ている相手がいそうです。 7/31 今日は、小休止の1日となりそうです。幸運な色の下着を新調して気分を切り替えましょう。汗をかいたら、よく拭くか、下着などを替えるようにして下さい。体調が優れず、1日を無駄にしたと感じそうです。でも、疲れを癒すためには必要な休息と諦めましょう。漠然として具体策も浮かばない希望は、実現できません。明確な見通しがたたないのであれば、考え直した方が良いかもしれません。高いところに登ると気分転換になりそうです。

※大山純平HP「擬人化した写真」連載中。毎週月曜更新。
There is a method in our madness. 〜我々の狂気には筋が通っている〜
澤田 育久 (写真家)
「私たちは、この社会、この宇宙、この現実による支配からの解放を求めて闘わねばならない。たとえそれが絶望的でも。自由に近づくにはより独創的に極限まで突き抜けることだ。確かに危険なやりかただが、私はあえてそれを探求しているのだ。」 “ヴィデオドローム”

我々が写真を撮影する際、先ず対象を発見しフレーミングにより構図を決定し写真的な操作を加えることにより対象を写真化していきます。その際に否が応でも自身の経験や見てきたもの、影響されたものが参照されそれに倣ってその写真が作画されていくのです。それは取りも直さず既に発見され確立された理論や美意識に自身の作品をすり合わせるということであり、写真を構図や色面に依ってバランスを取り破綻のないものに仕上げる意識のようにも思われます。しかし時として写真は自身でも理解し難い不定形な何か、既成の美意識に則った構成からは現れないコードを現すことがあります。それは経験や教養を土台とした共有の認識やルールが根底にある我々の理性的な認識では言語化出来ない不可知な領域ですが、カメラを介在することによって偶発的、分裂的に現れるイメージを無自覚的に捉えることは可能であるように思います。我々はその未必的に現れるイメージの断片を収集し、漠然と感知されているが体系化されていない”何か”を自身の文法として統語的に形成する為に写真というメディアを選択しているようにも思われるのです。我々が目指すものは既存の美意識に対向するように写しとられた夥しい量の写真の中に仄かに立ち現れた未知のコードを増幅して表徴させることであり、その為にこれまで形成してきた自身にすら懐疑的な眼差しを向けてひたすら行為を繰り返していくのです。
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